カンピースに師弟は存在しない

異常人格のカンピースが教団の機関紙を「政教珍聞」と揶揄中傷し、池田名誉会長の連載「新・人間革命」を「珍・人間革命」と揶揄していることは、宿坊板を見れば、すぐにわかることだ。こうした投稿を毎日行っている人物をなんら咎めることなく、むしろ持ち上げるような常連投稿者の姿がそのまま「宿坊」板の実相だ。

池田名誉会長は「師匠をもつ人生は幸福」という文章の中で、「私は今でも、日に何度となく師と対話している。一つ一つの問題に対して、戸田先生ならどうされるかを常に考えている」と記した上で、「自分の行動や決断をご覧になったら、先生は喜ばれるか、悲しまれるか、日々、自分に問いかけている。師をもつということは、自分の生き方の規範をもつことであり‥」と綴っている。

教団会員にとっての常識的事柄として、教団機関紙「聖教新聞」は戸田2代会長と池田3代会長の2人の対話からスタートしている。しかも2代会長の事業が破たんし、苦境のまっただ中にいるときに生まれた構想だ。その後、池田名誉会長はこの機関紙の育成に日々心血を注ぎ、会員を励ますための媒体として活用してきたことは多くの会員が知っている。

その新聞を、カンピースなる者が「珍聞」と毎日のように嬉々として投稿を続けている姿、またそれを容認してはばからない宿坊常連投稿者たちの感性は、このサイトが、師弟とは真逆の存在であることを象徴している。

カンピースという人物の人格倒錯がそのまま投影されている実態であり、波田地の体質とも似通うものだ。

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