時代の潮目

歴史家の保阪正康氏と池上彰氏が編んだ『歴史の予兆を読む』という対談集が先月、朝日新書から発刊された。この本で重要なキーワードとなっているのは、タイトルにある「歴史の予兆」であり、言い換えれば「潮目」のようなものだ。歴史の渦中にあると見えないが後になって振り返るとあれが「反転」のきっかけであったと感じるような意味合いである。その上で保阪氏は、明治維新から1945年までの77年間と、戦後の77年間がちょうど同じ年月になったことを繰り返し、これからの新たな未来に期待をつなぐ。私が計算したところ、その中間点となる節目はちょうど今月(=2022年7月)に該当する。

21世紀に入って日本社会が急速に右傾化し、差別が横行するようになったきっかけを1995年に求める人がいる。戦後50年決議を村山内閣で行ったとき、反発した自民党タカ派議員やそれにつながる勢力が一斉に胎動しだした。97年に日本会議がつくられ、新しい歴史教科書をつくる会も結成された。それらに加えて動きを加速したのは「アウシュビッツにガス室はなかった」という記事で文藝春秋社を追われた編集長が2004年に始めた月刊誌だ。毎月のように「南京虐殺はウソだった」といった記事が垂れ流され、新聞広告が打たれるようになった。言論空間は粗雑になり、事実と関係なく、何を言っても許されるかのような風潮が生まれた。加えて二度にわたる安倍政権の存在が、その加速度を決定的なものにした。門田隆将のような「職業的デマ屋」が復権する余地も生まれた。2022年7月は、そうした20数年から時代を転換する「節目」に該当する。

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