公明党の責任と態度

「敵基地攻撃能力は先制攻撃と受け取られかねない」と公明党はこの問題に消極姿勢だ。当然だろう。こうした議論が起きるたびに、その基点としての90年代前半のPKO(国連平和維持活動)への参加問題を思い起こす。「国際貢献」が合言葉のようになり、日本もなんらかの貢献が必要と外務省などが先導し、自衛隊海外派遣の道をつくった。当時、国論は2分されたが、当時の公明党は派遣のための歯止めとなる5原則を策定し、容認の方向にかじをきった。以来30年ほど。PKOの実績は増え、さらに近年増えた災害救助活動が目に見えることもあり、国民の自衛隊に対するまなざしは明らかに変化している。今では自衛隊の元トップが顔出しで新聞紙上に登場し、「防衛予算の増強を」などと軍人自身が主張できる時代に様変わりした。時代が違えば、この自衛隊トップは袋叩きにあったことだろう。戦争世代がほぼいなくなり、こんな事態がまかりとおるように「社会変化した」証明だ。公明党はこの間、政権維持を名目に、多くの自衛隊の活動を容認してきた。アフガン掃討、イラク派遣などもそうだが、より本質的には2007年の防衛庁からの「省」昇格に賛成したのも公明党だ。ただしこの実績は自ら誇れる実績ではないので、自分から積極的に口にすることはない。軍人の発言力が戦後の過去のどの時代よりも強くなっていることは明らかだが、その結果に公明党は大きな責任がある。一般に、軍隊は平和になると、その存在意義を失う。そのため組織維持の本能から、周辺諸国の脅威を煽り、自己存続の行動を本能的にとろうとする。いまは中国の脅威、さらに北朝鮮の脅威を煽れば、それらが実行できる。シビリアンコントロールはそうした軍事的な側面とは別次元から、平和を希求・構想し、行動するための歯止めだ。平和の「外交力」をおおいに発揮し、力強く行動する政治家が今ほど求められる時代もない。さらに相手の悪性ではなく、善性を引き出すような人間力こそ求められる。やられたらやり返せ式の子どもの喧嘩のような発想から平和を創出することは難しい。まして軍事対軍事の負のスパイラルに陥っただけの発想からは、平和は永遠に築けない。

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