佐高信のモウロク度(下) 嫉妬まじりの憎悪まるだし本

最近になって再び佐高氏のモウロク具合を如実に実感したのは、同人が外務省出身の作家・佐藤優氏について批判的に論評する本を左翼系出版社から発刊した内容を見たときだ。目次の見出しだけも拾っていくと次のような“形容詞”を含む表現が随所に見られる。「知識の武器商人」「危険な思想家」「矮小な思想家」「自公政権のお抱え知識人」「思想なきウンチクおたく」。まあ要するに、罵詈雑言の類だ。事実の摘示よりも、自らの憎悪の感情が先走ってしまい、言葉にもその心情がそのまま表れている形である。ファクト(事実)に基づき批判するのは正当な評論活動といえようが、そうでなくなれば、それは単なる自己満足レベルの「悪口」にすぎなくなる。 評論活動は自らの感情をぶつけるための自慰行為ではない。 こうした批評行動をみて、ああこの人は認知症の直前ではないかと逆に心配したのは私だけだろうか。

佐藤優氏を批判してはいけないなどと主張するつもりはさらさらない。だが批評には批評の作法というものがあり、それは「事実」に基づいてなされなければならない。これは批評の基本的なルールの範疇に属するものといえよう。だが佐高氏はこの本においても、昨日指摘した書籍と同様に、伝聞情報で相手を貶めている部分がある。もし真相を調べてみてそれが真実でなかった場合、佐高氏は民事提訴されれば、真実性を立証できないため、完全に敗訴する。批評家にとって感情だけのブーメンランはいずれ自分に返ってくることを弁えるべきだ。

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