神奈川県警の所轄の刑事など5人が突然わが家を来訪したのは昨年5月のことだった。よくテレビで見るような場面である。時間は在宅を見計らった午前8時すぎくらい。きょとんとして出迎えた当方に、刑事は来意を告げ、私のホームページを更新している場所を見せるように要求された。さらに2016年11月26日付のコラム日記「【福岡一味】 やっていることは師敵対の極み」の記事が問題になっているとして、そのページを開いて、何枚も写真を撮られた。さらに取材ノートや関連資料を押収された。これにより、彼らに関する時系列を踏まえた正確な記事が書けなくなり、過去に書いた記事およびあとは記憶でしか書けなくなった。 さまざまな法律家の意見を聞いても、問題とされた記事そのものは刑事であれ民事であれ、とうてい名誉棄損に該当するように代物ではなかった。なぜこのような事案が刑事告訴として「受理」されたのか、そのほうがむしろ不思議と考えるほうが多かった。 問題とされたのは「カルト」という表現だが、これはあくまで論評であって、事実摘示とはいえなかった。かりに事実の摘示であったとしても、その前提事実が明確に存在し、記事の中でも明示していた(一か所に集住、何度も訴訟を起こす、非常識な行動が顕著など)。それでも彼らの行動には一定の意図もあったようだ。彼らに関する記事は、このコラム日記だけで30数件にのぼっていた。いずれも彼らにとっては、「不都合な真実」であったのだろう。なんとしても憎き書き手である柳原に威圧を加えておきたい。そんな意図があったことがうかがえる。とはいえ、そうした知恵を付けたのは先方の弁護士であったとも思われる。 当然ながら彼らの刑事告訴によって、当方の筆が止まることはなかったが、それでも手元の原資料を持っていかれるなどの一定の制約を作られたことは明らかだった。それこそ彼らの狙いそのものだったのだろう。