日本共産党が複数の殺害行為や多くの警察官襲撃事件などで一般世間の信頼をなくし、1952年の総選挙でそれまでの35議席からゼロに転落した事実はこのコラムでも何度も紹介してきた。朝日新聞から「集団テロ」と名指しされた同党の行動は、その後どのようにして回復されたのか。結論は大きくイメージ・チェンジを果たした以外の何物でもなかった。暴力主義ではダメなことを痛感した同党は、その後は「平和の党」への脱皮・脚色を強めていく。議会において合法的な手段で多数派をめざす戦略に切り替えたのだ。そうして衆院で35議席以上を回復するのは1972年の総選挙だった。つまり、ゼロからのイメージ回復に20年かかったわけだ。人殺しや火炎瓶襲撃などを繰り返しておいて「解党」するまでもなく持ち直したのは、今から振り返れば奇跡的なことと思われる。ただそれが可能だったのは、日本の一般世間でも、あるいは世界においても、当時「社会主義の幻想」が広く信じられていたからと推測される。その結果、「解党」を余儀なくされる事態にまでは進まなかったということだろう。いまの同党が、憲法9条を守れだとか、自分たちこそが「平和の党」であるかのようにアピールしている姿を目にすると、歴史的経過を知る者には、はなはだ程度の低い詐欺まがい行為にしか見えない。なぜなら同党は、「集団テロ」時代の真摯な総括を、何ら行っていないからだ。
ウソと誤魔化しの上に、同党の現在は成り立っている。