「反日」と「非国民」

かつてこの国でも自由に物事が言えず、国の方針に逆らうと「非国民」と呼ばれた時代があった。現在はそれが「反日」という言葉に置き換わったように思えてならない。冷静に考えれば単なるレッテル貼りのレベルにすぎないが、こうした言葉が「ジャーナリスト」などの職業分野の者の口から平気で出てくるようになると、言論状況としては非国民と罵られた時代とさほど変わらなく思えてくる。日本民族は熱狂しやすい民族といわれる。こうしたレッテル貼りは一種の熱狂状態から出てくる言葉とも思われ、現在の日本社会はそうした状況を反映していると思えてならない。実は「反日」と言っている者の尺度ははなはだ独りよがりで、定義が多少変われば、実は自分たちこそが「反日」そのものという事態もありえる。例えば史実として歴史学の分野でも存在が定着している南京大虐殺について、彼らは「なかった」という事実と逆の暴論を主張するか、あるいは過小評価して平気だ。だがこうした言動は、国際的に見れば、日本あるいは日本人の信用を貶める行為にほかならず、その意味では彼らこそが本当の意味での「反日」といえる。その倒錯ぶり、滑稽さが際立つ『右翼』の現状は、こういうところに象徴的に出ていると思えてならない。現実的にそうした状況を煽動している媒体の名を挙げれば、産経新聞および右派月刊誌『正論』『WiLL』『Hanada』などに代表される。

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