ころころ変わった大草一男の主張

> この裁判でころころ代わったのは裁判官だけではない。大草一男自身の主張も同様だった。この裁判は先行訴訟から多くの訴訟の蓄積があるため、大草の法廷内供述に関しても、その時々の証言内容を読み比べることができる。だが大草自身の証言の重要な部分が、大きく変遷してきたことも明らかだった。
 例えば、当時の妙観講幹部(大草の昵懇の部下)が調査会社に盗聴を依頼するにあたって、その費用の出所に関して、大草は最初の梅澤訴訟(2000年9月)においては、「(妙観講幹部が)親からの土地を土地転がしして、大金を得たと発言していた」と証言。さらに女性から貢がせていたことも理由として加えていた。
 それに続く波田地訴訟(2002年5月)では、上記の証言を変更し、「遺産の相続だとか、そういう問題じゃない」と、遺産であることを否定に転じた。それでいて土地転がしと女性に貢がせたとの主張を維持するという矛盾に満ちたものだった。
 さらに盗聴報道訴訟(2005年7月)では、貢いだ女性の具体的氏名を尋ねられると、答えないまま、はぐらかす態度をとった。
 そうした経緯をへた後の本件裁判(2015年5月)では、「父親の財産を自由に管理していた」とさらに新たな具体的主張が飛び出すことになった。一方で土地転がしという年来からの主張はトーンダウンを見せ、逆に女性に貢がせていたとの主張は姿を消した。
 こうした主張の≪変遷≫は、大草の法廷内における証言としては珍しいものではない。結論として、先行訴訟(=梅澤訴訟・波田地訴訟)は、妙観講幹部の「単独犯行」であるかのような、矛盾に満ちた結論を導き出す結果となったが、そうした単独犯行説の「動機」についても、大草供述は見事に変遷してきた過去がある。言うまでもなく、法律の世界においては、供述の≪変遷≫は信用性のなさを証明するものとなりかねない。これら一連の事実経過は、この事件の本質を考える上で、注目に値する。

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