足軽4人組が受けた「仏罰」

民事裁判で訴えを起こしながら(=勝負をかけながら)、今回も見事に敗北した足軽3人組。彼らはかつて、対立した後輩世代の一人の勤務先が首都圏から大阪に異動になったことをとらえて、「仏罰」と攻撃していた。足軽会は2002年11月ごろに結成され、同じメーリングリスト(MLの名称はさまざまに変化した)で情報を共有する関係にあった。2007年には大阪に転勤した後輩1人のもとに先輩ら10人で押しかけ、集団で後輩1人を糾弾する書き置きも残していた。それら10人の中心格となるのが、3人組とは別のFという人物だった。このほどFが2008年に教団本部で受けた事情聴取の記録を改めて読んだが、Fはその席で、教団幹部から仕事が転勤になることが仏罰などという指導は教団にはない旨を厳しく言い渡されていた。 そうした指導に従わず、事実を捻じ曲げてひたすら自己正当化の宣伝をつづけ、解雇無効裁判でも最高裁で完全敗訴、さらに今回の裁判でも一審段階ながら彼らの本質をえぐる内容の判決文を書かれ、後世に半永久に残されることになった。彼らの言葉に従えば、こうした一連の経緯こそ、彼らの形容した「仏罰」そのものではないか。にもかかわらず、反省の態度は微塵も見られない。信仰姿勢が破たんしているとしか言いようがない。

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