日本共産党の党史偽造

昨日付のコラムで「(日本共産党は)55年7月には分裂状態にあった党内を統一」と書いてしまったが、間違いであったので訂正する。上記は同党のテロリスト集団だった時代の過去の責任を回避するために宮本顕治や不破哲三らによって演出された「偽造された歴史」であって、正確には「1951年10月」と訂正しなければならない。この月に何があったかといえば、同党の武装闘争を正式に決定する「五全協」という会合であり、ここから同党は全国的にテロ行動にまい進する。このとき一分派に追いやられていた宮本顕治は自己批判書を提出して主流派である徳田派に合流し、消極的な立場ながら、全党あげてのテロ行動を黙認する立場にあった(あるいは多少の関与もあったかもしれない‥)。その後、党の歴史が55年7月に「六全協」で統一されたかのように今に至るも見せているのは、後付けの党史偽造であり、その後実権を握ることになる宮本派(現在の不破・志位体制につながる)が、52年を中心とするテロ行為の責任を、当時の主流派・徳田一派のみになすりつけるための演出にほかならなかった。

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