時代の雰囲気と『新潮45』の関係

新聞各紙に目を通していると、月刊誌『新潮45』休刊に関する記事やコラムがいまだに途切れない。心ある作家たちがこの問題で発言を続けていることも関係するようだが、安倍首相を天まで持ち上げてきた小川某についての論評は辛らつだ。

『週刊新潮』も早川編集長時代にねつ造記事キャンペーンで袋叩きにあったが、そのときとまったく異なるのは、今回の一連の記事には「差別問題」がからんでいることだろう。ある人は小川某らの文章を「文章とも呼べない差別落書き」と断罪したうえ、「重要なのは今回の騒動の登場人物が、安倍政権の応援団ばかり」とも指摘している。実際その通りなのだ。

以前このコラムで、今回の休刊事件が“時代の分水嶺”になるかもしれないと書いたものの、その認識を変える必要はまったくなさそうである。

 

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