人物評価の方法

ある人物についての評価を下すために、その人物を直接知っている必要はない。物書きのノンフィクションの分野に「評伝」という重要な仕事があるが、その場合、評伝の対象となる人物を直接知っているかどうかは何ら問題でない。むしろ知遊関係にあれば逆に客観評価が難しくなる面もあるだろう。私は30代のころから教団の元弁護士・山崎正友について調べてきたが、世代的にも本人と交遊関係があるわけではない。本人の生い立ちについても親族や周辺に直接取材し、自分としての確たる印象を定着させた。そうした客観評価がどうかという問題である。波田地克利という人物について、直接知っているかどうかは本人評価において何ら関係はない。同人について「まともに勤行すらしない」という周辺の証言は、かなり近い筋から得たものだ。これらは上記の山崎正友の言動と似通ったものであり、重要な共通点と感じる。この場合、人物評価というより、より正確にいえば信仰評価といえる。信仰姿勢が中途半端であるために、陥りやすい落とし穴に同人は「落ちた」ということにほかならない。山崎正友の場合もそうだったが、こうなってはならないという典型的な反面教師である。

 

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