フリーランスの壁

私どもが大学を卒業する1980年代後半の頃はまだバブルの真っ盛りで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などともてはやされる時代だった。経済は上がり調子で世の中は活気があり、このままこの状態が今後もつづいていくと多くの人間が“錯覚”した時代でもある。だが平成に入って様相は一変。就職氷河期が生まれ、昭和世代と平成世代とでは体験した時代がまるで異なる結果となった。現在定年を迎えつつある我々世代においてむしろ堅実な職業体験となったのは、大学卒業時にはあまり本命視されていなかった公務員や教職員(地方公務員)だ。昭和の繁栄が永続せず、右肩下がりが続いたその後の30年間のこの国において、表面的に「正解」となったのはお堅い職業だったことになる。私などはその対極のような立場で、もともと大企業に就職するという発想をなんらもたず、一般企業は1社も会社訪問すらしなかった。受けたのは幾つかのマスコミ企業だったが、最終的にはマスコミ底辺から出版し、原稿を書いた名のある媒体といえば、ことし1月に休刊した「夕刊フジ」が最初だった。当時勤務した編集プロダクションが産経新聞との取り引きが多かったという偶然の賜物である。当時、フリーランスといえば、若いころは自由感があり、開放的なイメージをもった時期もあったが、平たくいえば“究極の非正規労働者”にすぎない。保障するものは何もなく、自分の好きな道を直進しているだけの生き方ともいえる。もっとも「原稿料」と呼ばれる世界は、私の実感ではこの20~30年ほとんど上がらなかった。むしろ下がっていたりもする。そのため活字文化の衰退とあいまって、いまでは「フリーライター」は絶滅危惧種の職業になりつつあるようだ。いずれにせよ我々の職業はその形態のあり方はともかく、「書き残す」ことに職業的な価値がある。その意味では60歳はむしろ定年ではなく、私の中では最終の“出発地点”という心持ちが強い。

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