「証言や研究に基づく史実を都合良く書き換える行為がまかり通れば、過去から教訓を学び、将来に生かすことができなくなる」。本日付毎日新聞の社説のフレーズだ。歴史とは事実(ファクト)の集積であり、個人的感情や作為は極力排除されなければならない。そうでなければ、上記フレーズにあるように今後の「教訓」として生かすことができなくなるからだ。昭和の戦争についても、沖縄戦のあり方をはじめ、南京大虐殺、慰安婦問題、731部隊の非道な行為など、旧日本軍にとっての多くの“負の遺産”というべきものがある。それらを直視することを避け、事実を捻じ曲げて見ようとする行為は、過去の失敗や過ちが永久に教訓化されず、同じことを繰り返しかねないことを意味する。この国の「自称保守」たちは、上記の過去の罪責をことごとく無かったことにしようとしたり、過小評価しようとする行動で一貫してきた。歴史の真実をどのように捉えるかという価値観があまりに異なっている。過去に盲目な価値観を発信する根源組織は「日本会議」や「統一教会」、もっといえば戦争遂行装置として戦前・戦中に機能した「靖國神社」であり、同神社内に存在する展示施設「遊就館」といえる。