人間の本性を浮き彫りにした25年 ~ 第二次宗門事件と波田地問題

 創価学会が日蓮正宗と決別して来月で早25年を迎える。前近代的な僧俗体質(僧が上で信徒が下)から独立し、“世界宗教”として本格的に再スタートしたという意味で、教団内では「魂の独立」と形容されてきた。会内では「第二次宗門事件」などとも呼ばれてきたが、この25年の歳月は、それに関わった人間の本質を浮き彫りにするにはそれなりに十分な時間だったといえよう。
 当時、宗門問題の対策に当たった一人である波田地克利(58)は、現在、創価学会を除名された身である。同人は1991年当時、日蓮正宗の活動部隊とされる妙観講(講頭・大草一男)の幹部から自宅の固定電話を違法盗聴されていたことが後に発覚し、関係者らを民事提訴したものの、裁判所に日蓮正宗関係者の責任を認めさせることはできなかった。要するに決着をつけることができなかった。
 この一件が大きなトラウマになったのか、あれから25年たって、同人は現在、創価学会と「対立」する立場にある。それだけでなく、自身の裁判の中で、自身が過去に禄を食んだ教団を攻撃・批判するために、25年前に激しく対峙していたはずの妙観講の機関紙「慧妙」のバイアスのかかった記事内容を、自分の立場で延々と大量引用する始末である。
 要するに、決着をつけるべき立場にいた人間が、25年たって、別の側に身を転じた。本人は妙観講と手を組んだわけではない、機関紙を引用しただけだと弁解するかもしれないが、およそ25年前には考えることもできなかったような“変節漢”ぶりである。
 歳月はその人間の本性をつまびらかにする。
 宗門問題の決着をつけるために本来尽力すべき立場にあった人間が、いまではそうした行動はまったく見せず、逆のことをやっている。こんな“言行不一致”の人間を信頼してはならない。そのことだけは、はっきりと言えるはずだ。

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