東村山の構図6 週刊誌も被害者

東村山デマ事件の本質は、そもそも教団謀略説を唱えた発信源が「善意の告発者」ではなかったという一点に尽きる。いわば詐欺師と同等の人物であったことが重要な要因となった。そのため、ペテン師に乗せられてデマ報道を打った当時の多くの週刊誌は、その後、同様の報道を基本的に控えている。すでに裁判上も決着のついている問題であり、デマ報道を繰り返せばさらにひどい賠償額を命じられることは明らかだからだ。当時、オウム真理教事件が同年春に勃発、日本国内の世論はそれで持ち切りだった。オウム事件に詳しいジャーナリストとして江川紹子氏や有田芳生氏がテレビに引っ張りだことなっていた時期である。そうしたほとぼりがやや冷めかけたのが8月から9月にかけての夏の時期だった。秋の臨時国会ではオウム事件を発端とした宗教法人法改正問題が現実のものとなっており、創価学会攻撃のタマとして利用された。局面が明らかに変わっていたのである。そうした政治環境の変化を利用し、そこへ「格好のネタ」を投げ込む形となったのが、東村山市議の矢野穂積だった。もっと正確にいえば、矢野と同一歩調をとった朝木直子だった。その意味では、週刊誌も被害者といえる。

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