これからの77年

私の文章の恩師が同じ佐賀県の出身で、大隈重信の縁戚ながらワセダを忌避し、東大在学中に学徒出陣で軍にとられ、九死に一生を得た話はこのコラムで何度か書いてきた。初年兵のときに馬糞を口の中に入れられた仕打ち、終戦間際に米軍による空爆で数日間意識不明となった話など、断片的ではあるがふれあいの中で聞かされてきた。印象深く覚えているのは、20代の若さで100人を超える者たちの「命を預かった」という責任感にまつわる話だった。軍の中でそのような地位にあったという意味だが、そんな特殊な状況が戦後生まれの君たちに理解できるだろうかとの意味合いが含まれていたように思う。恩師は戦争を振り返るような著作も残しているが、亡くなった多くの優秀な同世代の人間がもしも生きていれば、戦後の日本はいやまして素晴らしかっただろうというようなことを書いていた。それでも、生き残った者たちが戦後の日本を懸命につくり上げたとも。

あの1945年から77年となる本年の8月15日。明治維新後の77年は“戦争三昧”の国家だったが、次の77年間に日本がかかわる戦争は一度も起きなった。これから2099年までの77年も、自ら戦争を起こさないだけでなく、他国の紛争をも抑止していけるそんな存在になっていけるのか。いまを生きる現役世代が、そうした国の「流れ」を、太く、明確に、つくり上げる責任を有する。

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