安倍元首相の国葬はふさわしいのか

安倍元首相が凶弾に倒れて一カ月。世論は大きく変化している。一つは統一教会問題と政権与党との関係が十分に解明されないままでいることだ。自民党側は積極的な情報公開は行なわず、「逃げ」の姿勢に徹している。一方、安倍元首相への海外弔問の異例の多さに、正当な法律に基づかない国葬を決めたとされる岸田首相だったが、その判断がふさわしいものであったかどうか疑問をもつ有権者が増えてきた。要するに安倍元首相は人づきあいはうまかったといえようが、国葬として葬られるほどの政治的成果をこの国に残したのかという根本的な疑問だ。おそらく歴代総理の中では突出して虚偽の国会答弁を繰り返し、そうした風潮は公文書改ざん事件にまで波及するに至った。そうした虚偽答弁を駆使して延命したにすぎない政権が、政権の長さだけで評価されるわけもなかろう。どのような歴史的評価に値する実績を残したのかと問われれば、明確に答えられる者がいないのが現状だ。仮に安倍元首相が、アメリカと中国の間に割って入り、両者を平和の方向に導き、さらに気候変動のような地球的問題のために世界主要国が団結できるような形をつくったなどの功績があれば、それは歴史に残るものだったかもしれない。さらに核兵器廃絶の流れを率先して導くような成果があれば、それも一考に値したはずだ。だがそのような成果はどこにも存在しない。

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