日本共産党に望むこと

日本共産党の取材を始めたのは政党機関紙を辞めて独立した年だから1997年にさかのぼる。この年、東京都議選があって同党を取材した。翌年の参院選では同党は大きく飛躍した(一時的な現象だったが)。以来、同党取材の関わりの中で、同党の支持者や構成員が庶民に根ざし、善意で成り立っていることは承知している。ただしそれが党全体の行動となった場合、さらに過去の歴史をさかのぼって系譜をたどってみた場合、まったく別の「景色」が見えてくることも事実だ。残酷なリンチ殺人、革命という美名のもとの殺人、テロ。それらの路線が日本では通用しないと達観したときに、同党は路線を「平和路線」に転換した。ただそれだけのことである。そこから浮き彫りになるのは、現在の同党の姿は「仮の姿」であり、本然的なものではないという真実だ。同党は野党として、これまで一定の役割を果たしてきた。それは政権の悪事を「監視する」という役割である。さらに右派の反知性主義を指摘し、監視する役割も重要なものだ。その範囲においては、同党の役割は社会全体においてはプラスに機能してきたと考える。だがその範疇をこえ、革新他党を騙して政権奪取に走ろうとする姿は、全くいただけない。この国で共産主義綱領を掲げた政党である限りは、あくまで万年野党に徹するべきだ。民主主義はそれほど甘いものではない。過去の殺人、テロもすべて俎上に乗せられる。いまの綺麗なだけの偽装された「仮の姿」でなく、本然的な姿を指摘されることになる。それほどまでに政権与党に入りたいのなら、「共産主義綱領」を速やかに廃棄すべきだ。共産主義という独裁主義をこの国に持ち込む行為は、いい加減やめてもらいたい。自分たちの社会主義だけが正しいという独善的な「思い上がり」も、やめていただきたい。

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