自分が主人公の政党

「国民が主人公」と喧伝する政党に限って、実際はそうではない。現実がそうではないから、あえてそのようにキャンペーンしてイメージアップを図るというのが世の常というものだろう。その最たる実例は日本共産党である。前回日曜日のネット配信で志位委員長、小池書記局長の都議会議員候補を応援する演説を視聴したが、彼らはすでに選挙本番体制に入った格好で応援演説している。こうした実態は他党からは常に批判にさらされてきた。だが選管はうかつには取り締まらない。見て見ぬふりをする。そんなときに東京・豊島区議会で「公職選挙法に基づいた安全かつ公平・公正な選挙を実施するように努める」との決議が採決され、日本共産党を除く全員の賛成多数で可決されたという。これらの事象からいえることは、日本共産党は自分たちの党勢拡大のためには法律を守ることなど基本的に眼中になく、とことんまで「自分ファースト」で突き進むという実態である。仮に同党が「国民が主人公」の政党であったならば、国民の模範となるべく、厳格に法律を守る姿がそこにはあるはずというものだろう。実態は「自分が主人公」にすぎないこの種の政党が政権内に入るとどうなるか。自らの党勢拡大のためにありとあらゆる制度が利用され、組織崩壊に至ることはすでに過去の京都の事例が示している。以前の革新都政時代も実態は似たようなものだった。人によっては同党を「ハイエナ」とたとえる人がいるが、実際は国民民主の前原誠司代議士がかつて語ったように「シロアリ」のほうがより的確である。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。