76年前の沖縄戦では、沖縄の地形が変化するほど満遍かつ大量に米軍の砲弾が艦船や軍用機から投下された。このとき隠れる場所がなければもっと大量の人びとが犠牲になっていたはずである。沖縄には特に南部には、鍾乳洞の小さな洞穴が無数にある。そこに多くの人びとは身を隠し、息を潜ませて日々を過ごすしかなかった。軍の司令部も、県庁や県警察も、多くの壕を渡り歩いて、最後は摩文仁の丘に行きつく。軍司令官はそこで軍人式に自決し、県知事も行方が定かでなくなった。知事は海に身を投げたという説と、洞窟内の落盤事故で亡くなったという2説がある。近ごろ、そうした鍾乳洞の跡を4か所ほど、見る機会があった。一つは大規模な洞穴で、中には小川が流れている沖縄戦においては有名な壕である。やはり現場に足を運び、その場所の空気を吸わないと机の上からだけでは見えないことがいろいろと存在する。それでも往時を想像しながらの追体験は、空想の追体験のレベルでしかない。でもそこをきちんと踏むのがこの道の鉄則である。