「デマ宣伝」が代名詞の『共産党』流戦略

選挙になると、各党の主張が先鋭化し、エスカレートする。論争が激しくなる。当然、戦いだから致し方ない側面がある。ところが、日本を共産主義国に変える理想(夢想)をもつ日本共産党の行動は、選挙においてしばしば他党の顰蹙を買う。そこに多くのウソがちりばめられていることが最大の要因であろう。今回の都議選でも、そうした傾向が一層顕著に浮かび上がっているようだ。

今回の選挙で共産党が最大の争点として“宣伝”を重ねているのが、築地市場の移転問題だ。豊洲への移転は自民、公明、民主などが推進した政策として、自分たちだけは築地市場の再整備を主張している。だが共産党の主張している案は、過去に実施されて頓挫した経緯のある現実離れした案であり、いまさら計画を変更するとなれば、解決までさらに10年以上の時間を要することになる。築地再整備を訴えている政党はいまのところ、日本共産党のみ。だがそれこそが共産党の狙うところなのだ。

共産党を長年ウォッチする識者らが指摘するように、同党は常に目前の選挙で勝つことしか考えていない。つまり近視眼の生き物なのだ。そのため、今回の選挙では「都民ファースト」の人気に埋没し、共産党の存在感がなくなることだけは最も避けなければならない。そこで出てくるのが、自公との対立軸を敢えてつくり出し、自公を悪者、自分たちをよい者との都合のよい構図を描き、集票につなげることにほかならない。そのために最も利用できる材料が、今回は豊洲移転問題というわけだ。

確かに小池知事は、豊洲移転か、築地残留か、いまだに結論を出していない。都民ファーストが連携する公明党は豊洲移転が現実的と考えている半面、知事が抵抗勢力としての構図をつくりたい対象である自民党も、豊洲への早期移転をあからさまに主張している。仮に都知事が築地再整備を表明すれば、公明党との関係には修復できない溝ができてしまいかねない。一方で豊洲移転を決定すれば、自民党の主張に屈したように都民からは見られかねない。この問題が、小池知事にとって「退くも地獄、進むも地獄」と形容されるのはそのためだ。

だが、大事なことは、都民のための利益とは何かという問題につきる。一党一派の党利党略を基準とすべき問題ではなかろう。これまで6000億円もの予算を投入したこと、築地と同じく豊洲も地上は安全であることなどを考慮し、現実的な判断がなされるべきだろう。

逆に共産党にとっては、築地の関係者がどうなろうと、究極的には関係ない。当面の選挙を、このもっとも利用しやすい「争点」を活用して、党勢拡大に結び付けることができればそれでよいのである。要するに、「国民が主人公」「都民が主人公」は全くのマヤカシであって、実際はどこまでいっても「自分自身が主人公」の姿でしかない。

そもそも、万年野党で予算案にもほとんど反対してきた日本共産党には、「本当の実績」と呼べるものはほとんどない。だからこそ、ちょっと議会で主張してみせ、他党が汗をかいて実現に結びついた政策についても、ちょっとした発言の事実を使って、「自分たちが実現した」などのチラシをまいては、国民をダマすような行為はおちゃのこさいさいだ。こうしたデマまがいの主張が、選挙になると多くはびこるのは、日本共産党に本当の実績というものが存在しないことの裏返しにほかならない。

彼らにとって、国民は「騙すための対象」でしかない。こんな政党が権力の中核を占め、自由気ままに権力行使することになれば、国民は「主人公」どころか、逆に「奴隷」扱いにされてしまうことは、各国の歴史がすでに証明している。北朝鮮などその際たる例だろう。

いまだ不十分とはいえども、曲がりなりにも民主主義が根付いたこの国で、日本を共産主義化することを理想とする合法政党が存在することは、平和国家として知られるコスタリカなどから見れば、まさに驚くようなことなのだ。コスタリカなどからみれば、共産主義政党はそのまま国民を不幸に落とし入れる独裁主義政党と認識される。

結論すれば、日本共産党は、日本という民主主義国家の隙間に「寄生」するあだ花のような存在なのであり、世界基準でみれば、希少的価値をもつ「化石」レベルの存在にすぎない。

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