国会を揺るがした60年前

今から60年前の1960年5月は、安保闘争で国会が揺れに揺れた時代だった。奇しくも創価学会池田第3代会長の就任時期とも重なる。当時国会で暴れたのは「ブント」と呼ばれた政治グループを中心とする学生たち。いまは政治評論家として活躍する森田実氏も当時はブントの最高幹部の一人だった。いわゆる新左翼の走りだが、特徴は、多くが日本共産党の洗礼を受けて独自の運動に走った点にある。同党が1952年に起こした武装闘争路線(=集団テロ)にあき足らず、若い世代が独自の行動を起こし始めた。その意味で新左翼の生みの親は日本共産党といってよい。この年の6月15日には、国会周辺で東大の女学生が命を落とした。その後ブントから枝分かれして、「日本赤軍」や「連合赤軍」も誕生した。大まかに図式化すると、次の流れとなる。

ソ連共産党 ⇒ 日本共産党 ⇒ 新左翼諸派

  つまり、新左翼は、客観的にみればソ連共産党の「孫」のような存在だ。日本共産党は、自分の親であるソ連に対しては今も罵詈雑言を投げつけ、さらに新左翼からは見放された立場である。手の平返しで親不孝を繰り返し、子どもたち全員に見放された日本共産党の姿は、人間に置き変えれば、たいへん不幸な状態といえる。

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