革命のために「ウソ」も許されるという感性

沖縄共産党の母体となった政党に人民党がある。1972年の本土復帰前、つまり沖縄がまだ「外国」であった時代に、人民党は共産党であるかどうかを聞かれ、常に「我々は共産党ではない」とウソをついてきた。中心者である瀬長亀次郎は1930年、23歳のときに実は入党していた。そうした事実を当時は隠し、本当のことを言わなかった。後年、人民党が日本共産党にまるごと「合流」し、瀬長が衆院議員となると、本当のことをしゃべりだした。このように、日本共産党はウソは平気である。例えば、朝鮮戦争を北朝鮮が起こしたとき、共産主義陣営は韓国が先に手を出したという宣伝を長らく続けてきた。これも真っ赤なウソだった。革命のためにはウソは許されるという感性だ。日本でも同じことがいえる。日本共産党が札幌の警察幹部(公務員)を組織的に違法拳銃で殺害した。このとき実行犯の中心となった札幌共産党の責任者は獄中にあってもずっとウソを言い続け、共産党組織も党をあげて、冤罪であるかのように延々と宣伝をつづけた。革命のためには「ウソ」は許されるという独特の感性。こんな政党が日本の政権の中に入れば、間違いなく、この国はおかしくなるだろう。

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