宮城長順没後65年

空手の世界の話だが、剛柔流の始祖・宮城長順師は戦後まもない昭和28年のこの日に亡くなった。前日まで空手の指導を続けていたが、心臓発作で倒れ、急逝したとされる。

1888年生まれの宮城は沖縄空手の伝道者としてその名を残している。

沖縄小林流開祖の知花朝信(1885年生まれ)、糸東流開祖の摩文仁賢和(1889年生まれ)と同世代だ。

日本本土で最初に空手普及を始めた船越義珍(1868年生まれ)より2周りほど下になる。船越が東京に、摩文仁が大阪に移住して空手普及を図ったのと対照的に、宮城は沖縄を拠点にしながら、京都などにしばしば出かけ、立命館大学などを拠点に、剛柔流空手の普及を行った。

柔道に比べ、空手という武術が世間でまったく認知されていない時代に、他の武術と同等の武道として認知されるきっかけをつくり、尽力したことで知られる。

ちなみに日本本土の4大流派、沖縄の3大流派の双方に共通の流派名を持つのは、宮城が創設した剛柔流だけである。

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