時代を振り返ると明らかに「潮流」というものが存在する。1990年代の昭和の戦争を「侵略戦争」と断じる新首相が登場したり、過去の慰安婦問題で反省の意を表明する官房長官が登場したりしたリベラルな雰囲気の時代から一転、96、7年以降はそれらを「反転」させる流れが強まり、そうした反転状況は2度にわたる安倍政権でクライマックスとなった。現在はその影響が衰えつつある過渡的な段階であり、石破政権でいま一度の「反転」が進み始めた状況に映る。だからこそ安倍残存勢力の石破首相への風当たりは強いものがある。安倍政権の歴史認識を一言でいえば「反知性主義」といってよいものだが、要するに客観的事実に基づく歴史認識ではなく、「ぼく悪くないもーん」「僕のおじいちゃんたちも悪くないもーん」の自己肯定史観で一貫する。自己本位な歴史観は当然ながら被害国であった周辺諸国とのあつれきを生む。安倍70年談話は自身の歴史観を露骨には見えないように配慮しながら、95年の村山談話を事実上“空文化”するための談話にほかならなかったが、そのような主体性なきバランスの上に成り立つ談話は、日本の立ち位置を率直に示していない。歴史的事実を謙虚に踏まえ、その上で未来志向の協調的な時代を創る――。石破内閣に求められるのはそうした「時代潮流」を現実にするための努力であり、この「流れ」を続けていくことに尽きると見られる。
※母親の介護の関係で九州に2~3日帰省しておりました。本日より再開します。