私が波田地批判を始めた理由

 私はもともとこの人物と面識がない。過去に何らの接点もなかった。なぜ突然この人物の批判を始めたのかいぶかる声もあるかもしれないが、同人一派のあまりに常軌を逸した行動が目に余ったというのが正直なところである。
 すでに2013年末から間もない時点で、この人物が教団を「除名」になったことは耳にしていた。また教団に対し、裁判を起こしていることも認識していた。あるとき、その裁判の本人尋問の日程が判明したので、どのような人物であるか、好奇心にかられて法廷まで足を運んだのが今年4月のことである。小生も個人的に幾つかの裁判を経験し、裁判取材も多く行ってきた。それらの経験を踏まえてそこで見た人物像は、あまりにも拍子抜けするようなものだった。
 この人物は、「私の最大の誇りを奪わないでいただきたい」と法廷内で懇願しながら、自分の立場を守るためか、雑誌フライデーの取材は全く関与していない、インターネット掲示板「宿坊」にもまったく関与していない、などと述べ立てた。
 こうした姿を自分の目で見て、過去に法廷内で多くの歪曲証言を行った過去の脱会者の姿を思い起こした。なるほど、教団に弓を引く者には類似点があるものだと感じた。また「本当の敵は教団の内部から出る」との、戸田城聖第2代会長の言葉も思い起こされた。
 ペテン師・山崎正友の晩年の取材に関わった者の一人として、脱会者・除名者の共通点をきちんと指摘することは、自身の責務と感じている。また波田地らの行ってきた分派活動は、教団の永遠性の確立をめざしているこの時期において、大きな障害になっていることも明らかと思えた。
 一方で、私は個人的に、妙観講幹部が起こした過去の盗聴事件に関する民事裁判を抱え、この関連訴訟に波田地訴訟なるものがあった。当然ながら、裁判官もこのブログを目にする可能性がある。そこで同人への批判を始めると、裁判所に誤解され、自身の裁判に影響を与える懸念があった(実際はそんな心配は無意味であったが‥)。そうして自身の判決が出た段階から、徐々に言及したというのが率直な経緯である。「ペンを行使せよ」などと働きかけた第三者が存在するわけでもない。小生は、常に“一兵卒”の存在にほかならない。

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