南スーダンPKOをめぐる「日報」問題が、ここまで波及力をもつとは防衛省幹部も現政権も思っていなかったのではないか。すでに現時点では、日報の情報公開請求に対し、統幕幹部の指示で情報隠蔽したことが明らかになりつつあり、だれかが責任をとることになることは間違いない情勢だ。問題はだれが隠蔽を「指示」したかという真相究明に移っているが、“軍人の独走”をコントロールできない大臣の責任は当然問われるものと思われる。
それにしても、この問題をめぐる省をあげての恣意的な行動ぶりは、すでに過去の軍部の独走を想起させるに十分だ。PKO法が成立した1992年。国論を二分する論議がわき起こり、すったもんだして法案成立した事態が思い起こされる。「教え子を戦場に送るな」との極端な反対論もわき起こったが、その後、PKO活動への参加を重ねる中で、国民の理解が進んだという経緯があったことも事実だ。それでも昨今のドタバタ劇は、防衛庁が「省」に昇格し、近年は災害時にも多くの活躍で国民に認知されてきた自衛隊が、一定の線を越え始めたことを示して余りあるように思えてならない。もとより現場の自衛隊員に責任はなく、防衛省幹部およびそれをコントロールする政治の側の問題と思えてならない。