「反日」としか捉えられない門田隆将の狭隘さ

門田隆将のいう名前の作家・ジャーナリストがいる。前職の「週刊新潮」デスク時代は多くの捏造記事を作成し、裁判でも何度も敗訴した張本人だ。数年前に独立後、産経新聞や雑誌WiLL、Hanadaなどで見かけることが多くなったが、その本人の文章を読んでいていつも違和感を覚えるのは、ジャーナリストを名乗りながら「反日」といった用語を簡単に使用し、「日本を貶める」などのワードを多用することだ。彼にとっての日本とはいったい何なのだろうか。日本人として日本国を擁護したい気持ちになる心情は理解しないではないが、ジャーナリズムがそんな情緒的なレベルでとらえられては、レベルも下がろうというものだ。同人は朝日新聞などを主なる対象として、「政治運動体の機関紙」などと自著などで揶揄中傷している。一方で、自分自身が産経系列の「政治運動体の機関紙」に準じる存在に成り下がっている姿は自分では目に映らないらしい。要するに何が問題かというと、「言行不一致」の典型的な姿がそこにあるということだ。その証拠となる文書を、どんどん活字にして、歴史の検証に耐える形で自ら残しているところに、この人物の滑稽さがある。同人が産経新聞出版から『新聞という病』という本を出したが、この書籍の本質は、門田隆将という『書き手の病』を刻印した意味合いの本にほかならない。 過去の自らの行動を反省することなく、正論という能書きを平然と述べてやまない同人の書き手としての体質は、政党でいえば、過去の行動の罪責をなんら反省することなく、聞こえのよいプロパガンダを垂れ流して生き残り続ける日本共産党のそれとまったく似通っている。

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