空手雑感 23

現在世界で最も広く流布されている空手の流派は松濤館といわれている。特に欧州ではその傾向が強いようだ。大山倍達が開いた極真空手は、本土の松濤館などを含めた伝統空手を「寸止め空手」との言葉でくるんできた。試合では実際に当てないので、実戦には使えない、また見る者にも感動を与えないという意味である。そのため極真の大会では、実際に素人が見てもわかりやすいような直接打撃制を生み出した。ただしそれも顔面を殴ることはしないため、競技に沿った悪い意味での進化も指摘されている。

さて、寸止め空手はほんとうに実戦の役に立たない、お粗末な空手なのだろうか。こうした思い込みは極真などフルコンタクト空手関係者に過去に広まった話だが、私には「都市伝説」のたぐいにしか思えない。

実際、松井派極真の有力選手が現在の伝統派のルール(オリンピック採用ルール)に参加しようとしたが、思い通りの戦績はあげていないようである。また寸止めといっても、その瞬発力と破壊力は、「寸止め空手」とバカにできるようなものでは決してない。実際は当てないルールでも、誤って顔に入れてしまうというケースはまま見られ、その場合、あごが外れたなどのケガはけっして珍しいことではない。つまり、破壊力はけっしてバカにできないのだ。

フルコンタクトの選手と、オリンピックルールの選手が戦ったらどちらが強いかというのは、実はあまり現実的な話ではない。お互いのルールの元での試合に慣れている以上、自分のルールで戦うほうが強いだろう。

問題は何でもありのルールなしの格闘をした場合に、ほんとうはどちらが強いのかという話だろうが、それはやってみないとわからない。またそれを行えば、当然、死人がでることを想定しなければならない。結局、この問題の決着は出ないと思われる。

 

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