「スターリンの葬送狂騒曲」を観る

息抜き用に見た映画ながら、共産主義社会の滑稽さを改めて感じさせる作品だった。ソ連で大粛清(大量殺人)を実行したスターリンが1953(昭和28)年に死亡する直前から描写が始まり、その後の最高指導部内における権力闘争がシリアスかつコミカルに描かれている。最終的に秘密警察長のべリアが権力の座から叩き落され、フルシチョフの手に最高権力が移行するまでが1時間30分の映像に収められている。

今さらながら、このような世界に民主的プロセスというものは存在しない。最高権力者の胸先三寸で罪のない市民がいいように殺害され、いつ明日は我が身となるか、だれもわからない世界だ。だからこそ、大粛清の中心者であったべリア自身が、それまでの「報い」を受け、最後に無残に殺されるシーンは印象的である。

ロシア共産党その後のソ連共産党の本質を描いたこの映画は、日本の共産主義政党である日本共産党についても、考える材料を多く提供してくれる。日本共産党が、この映画の主題であるロシア共産党によって産み落とされた政党であることは真実だ。いうなれば、DNAはまったく同じなのである。

仮に日本国が戦後のある時期、日本共産党によって乗っ取られ、共産主義社会へと変質していたら、日本の最高指導部の現状は、この映画と同じようになっていたことが容易に想像できる。今の北朝鮮など、この映画に極めて近い姿ではなかろうか。

結論として、日本の数ある政党の中で、日本共産党は「異質」の存在である。醜く、危険なDNAの正体を、日本の有権者にひたすら「隠し通し」ながら、生き延び続けている政党にほかならないからだ。逆説的にいえば、世界的には『化石』のような稀少価値を持っている。もちろん反面教師として‥。

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