関係のない人間が次々と登場して支部長を攻撃する

 元職員3人が著作で取り上げた聖教新聞の減部をきっかけに起きたとされる彼らの仲間の事件。こうした紛争事には、必然的に両者の「言い分」というものがあり、それらを注意深く踏まえることが必要と思われる。聖教減部を申し出た女性側の言い分は、すでに彼らの著作でほぼ述べられている。一方で、減部に対し、信仰指導を試みた支部長側の言い分はこれまでほとんど表に出てきていない。ここでは裁判資料をもとに、私の知る限りの客観的な事実を簡略に記す。
 もともとこの問題は、当該女性がフィアンセとの同居を理由に福岡大祐宅に引っ越すため、新聞を1部減らしたいと述べたことから始まっている。それに対し、支部長の信心指導が、彼女からすると「馬鹿にされた」「侮辱された」などの感情論に発展した。本来はこの両者間の問題であったはずだが、話がややこしくなるのは、支部長を攻撃するために関係のない人間が何人も出現したことで問題解決を複雑化させた面があることだ。
 まず女性のフィアンセ(当時)である。すでにこの男性はやりとりが発生して一カ月もたたない段階で「裁判に訴える」などの“脅し文句”を支部長に対して述べていた。さらにそれ以外にも関係のない人間が何人も出てくる。福岡大祐が入会させた男性S、さらに当該女性の仲間、さらに元職員3人らも間接的に関わっている。それらが一体となって波状攻撃のように、支部長に「対話しろ」「謝罪しろ」とメールや電話のみならず、自宅や職場にまで押しかけ、あるときは自宅が留守であることがわかっているにもかかわらず、ドアを叩いては何の関係もない子どもにまで恐怖心を与えている。
 私個人の感想だが、もともと当該女性の感情次元の問題だったので、この女性と、最低でもそのフィアンセのみによる行動であれば様相はかなり違っていたものと推測する。だが彼らは「足軽会」の構成員およびその妻などを“総動員”する形で、あたかも集団示威行動を見せるかのように、支部長への個人攻撃をつづけた。さらに攻撃は支部長だけでなく、支部長の職場の上司にまで及んだ。
 昨日も記したように、彼らは宗教以前の問題として、「常識」というものを決定的に欠いた行動をとる傾向が強い。元職員3人の著作においては、支部長の振舞いばかりを問題視して主張しているが、一方で、肝心の自分たちの非常識な振舞いについては、自省する言葉は皆無に等しい。客観的にみれば、問題解決のためには、もっと賢い方法があったのではないかと思えてならない。
 私はこうした紛争事は、一方が100%善で、一方が100%悪などと言うつもりは毛頭ない。どちらにも当事者としての言い分があることを前提とした上で、相手を攻撃するには手段を選ばない行動をとる「足軽会」(=福岡グループ)の≪異常体質≫をきちんと踏まえておかなければ、本質を見失う危険性があるものと感じている。

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