下剋上の極み

日本は民主主義国家とされている。国会議員は国民の代表であって、議員は国民の利益のために存在する。公益のために尽くす人であって、私益におぼれる人間であってはならない。そのため本質的には国民が主人であって、議員や大臣はその下僕であるとはよく言われることだ。

その意味では、行政機関が保有する情報は本来、国民の所有物であって、そのため、それらの情報がどのように開示されるかという姿勢において、その時々の政府の国民に対する態度が判定されうるといってよい。その意味では、安倍政権がこれまで行ってきた行動は、情報公開という点においては、零点どころか、犯罪そのものだ。

今回さらなる新事実が発覚している「森友問題」は、そのダメ押しともいうべき事態だ。

財務省が省ぐるみで行った文書の改ざん行為は、役人としての立場を否定する行為にほかならない。これらを役所が単独で行ったとは考えにくい。人事権を握られた役所側が政権の意向を忖度し、安倍政権の「存続」のために、役人としての最大の存在意義を捨ててまで付き従った異常性は近年まれにみる現象に思える。安倍首相とその夫人がこの問題に密接に関与したことは、すでに削除された文書からも明らかに思える。

さらに加えて、国有地を安価で売却した理由とされる地中のごみ問題についても、事実的根拠が薄かった旨の報道が本日付の毎日新聞で明らかにされている。

要するにこの問題の本質は、首相あるいはその夫人が「お友達意識」を発揮し、特定のグループの範疇にある人物を「特別扱い」した、その公平性のなさにあった。

まさにそうした行動が世の明るみになったときに、それを姑息にも隠蔽しようと、財務省を巻き込み、同省に「心中」を半ば行わせたことは、権力を恣意的に実行した不公正な特別扱い行為よりも、さらに質的には悪質な行為に思える。

そのための手段として、文書は改ざんされた。1億2000万の国民はどうせ「バカ」だから、この程度でダマせるだろうとタカを括った行動としか受け取れない。本来、政治的には「主人」であるはずの国民を、平気で欺くことをいとわない政治指導者としての誠実性の欠如が、私はこれらの本質的な問題とも考える。

安倍晋三に、政治を司る「資格」は、すでにない。どうすれば国民をうまく欺き、仕事をしているふりをし、実績を残しているように見せかけるかというノウハウに長けていたとは思うが、国民・住民に対するその本質的姿勢において、まったくもって間違っていたと感じる。

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