作家「門田隆将」が放ったブーメラン

このコラム日記が始まったのは2004年3月。以来14年がすぎる。最初に題材として取り上げたのは、当時、週刊新潮で捏造記者として有名になっていた人物の仕事ぶりについてだった。現在、その人物は新潮社を退社後、ノンフィクション作家として仕事を続けている。名前を「門田隆将」という。その人物が元週刊文春の編集長だった花田紀凱と対談した書籍が先日も読売新聞(2月21日付)の書籍広告に顔写真入りで大きく取り上げられていた。一方、それから2日後の産経新聞の1面トップには、「平昌五輪 北、閉会式にテロ主導幹部」の見出しが躍っていた。韓国政府は受け入れる見通しと書かれたその記事を見て、似たような構図を思わないではいられなかった。

過去に韓国への砲撃事件を主導した北朝鮮の要人が、その罪を免責されたかのように韓国で行われている五輪というひのき舞台に堂々と参加する。過去に罪を犯した人間による厚顔無恥な言動と、それを許容する周辺環境が、上記の門田の言動とそっくりに思えたからだ。

今一度、先の広告掲載の新書に目を通してみると、驚くようなことが書かれている。同人はそこで「新聞ジャーナリズムは徹底的に堕落した」とこき下ろし、その理由として、「今の新聞は自分の主義主張にしたがってストレートニュース自体をねじ曲げている」などと述べている。何を隠そう、それと同じ行動をとっていたのは週刊新潮時代の門田自身であったことを、本人は忘れてしまっているようだ。驚くべき健忘症といえよう。

たとえば門田が固執した分野に創価学会に関する報道があった。北海道の日蓮正宗の坊主と創価学会の地区部長が交通事故を起こした事件を取り上げ、まるで学会側の地区部長が悪いかのような記事を作成したのは、何を隠そう門田自身である。だが実際は、過失責任の割合は、坊主側が100%悪いというのが実態で、彼は自分の主義主張にしたがって、故意にか、ストレートニュース自体をねじ曲げてしまった張本人だったのだ。

このようなことは、その後の東村山女性市議転落死事件でも、繰り返された。以上の2件の記事ではいずれも民事訴訟に発展し、どちらも門田側が敗訴を繰り返した。

極めつけは、1996年から始まった池田名誉会長に対する罵詈雑言キャンペーンであろう。事実的な裏付けもとらず、函館のヤクザまがい夫婦の虚言に飛びつき、大々的にストレートニュース自体を捻じ曲げる報道を繰り返した張本人は、何あろう、門田隆将こと門脇護だった。

このような人物に、現在の新聞ジャーナリズム、あるいは同業他社を訳知り顔で批判する「資格」など、どこにもないことはだれの目にも明らかだろう。

2018年という「タガの外れた」かに見える現代ニッポンにあって、上記の門田らの言動が容認されている事態そのものが、「タガの外れた日本社会」の証明に思える。

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