魔に食い破られた波田地の姿 ~ 25年目の真実

 波田地が第二次宗門問題での功績を認められ、金褒章をもらったと法廷で自慢したのは今年4月。その出来事があったのは、25年前の1991年4月のことだった。日蓮正宗対策さらにその活動家グループである「妙観講」対策でも“先鋒”に立って活躍し、創価学会内ではその名を知らない者はいない程度に一世を風靡した。だが25年後の今日、その面影はどこにもない。
 まず同人はすでに日蓮正宗と戦っていない。あるいは妙観講とも戦っていない。逆にいまでは、妙観講の機関紙記事を肯定的に引用し、創価学会攻撃に使っているのが現実だ(既報)。こうなるに至った原点となる出来事もある。波田地が妙観講幹部から自宅を違法盗聴されたのが91年5月。それが判明するのは5年以上後のことだが、それを知った波田地は妙観講の大草一男、理境坊住職の小川只道、法主の阿部日顕、さらに大石寺などを相手取り、損害賠償請求訴訟を起こした。1999年12月に起こされたこの裁判は、2003年5月に一審判決が出たが、認められたのは調査会社帝国リサーチの責任だけで、日蓮正宗側はまったくの“無傷”という結果だった。
 鳴り物入りで自ら訴えておきながら、実質的には何も得るものがなかった判決が04年4月、最高裁で確定する。同年1月には、妙観講幹部の違法盗聴事件の監督責任をもつはずの講頭の大草一男は、あべこべに法華講大講頭に就任するという異例の昇進を遂げた。
 この裁判結果をきっかけに、波田地は、教団の弁護士グループに深い怨念を抱くようになる。さらに葬儀会社の報恩社、学会幹部の谷川・佐藤両副会長らを憎悪するようになっていった。そうして波田地はこれらの人々を「悪の三位一体」などと称して公然と批判するようになった。それらも除名理由の一つに挙げられているが、25年後のいま、同人は教団からすでに“追放”された身にすぎない。
 波田地は自身の陳述書の中で、「悪の三位一体」の悪について、次のように書いている。「根本的な悪は、『池田先生のため』『会員のため』という思いがなく、独断専行ですべてを自分たちの思い通りに進めようとすること」。およそ主観だけのお粗末な心情の吐露であり、真実性に乏しい内容に思える。同人の四半世紀の軌跡をわかりやすく図示すると、次のようになるだろう。

  【25年前】 宗門問題で功績をあげ教団側のヒーローに。妙観講とも前面に立って戦った。
          ↓     ↓     ↓     ↓     ↓     ↓
  【い  ま】 妙観講と戦おうとしない。逆に妙観講の機関紙を使って教団側を攻撃。教団に逆恨みの感情を持つ。

 波田地はこうなってはいけないという見本(=反面教師)のようなものだ。まかり間違っても、こんな生き方はしたくないものだ。

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