建設的批判意見

一つの団体や組織がどの程度発展していく土壌をもっているかどうかは、建設的批判意見がどの程度受け入れられるかにかかっているように感じる。金太郎飴のようにどこを切っても同じ意見しか出ない組織は劣化し、必ず沈滞する。一方で建設的意見をどんどん取り入れる受容性をもった組織は、構成員の存在が価値化され、やりがいも生まれるというものだろう。もちろん、相手を貶めることが目的の単なる批判意見はダメだ。その意味で今の日本共産党を見ていると、自らの権力維持だけのために建設的批判意見をパージし、個人を人格攻撃している姿は、共産主義政党の一つの実態を示している。私はこんな体質ではまともに続かなくなるから、時代遅れの共産主義綱領を捨てて、普通の政党として再出発することをささやかに主張しているが、当然受け入れられることもない。どちらにせよ、言論の自由のない世界、建設的批判意見が公然とつぶされるように組織に明るい未来はない。

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