群れるしか能のない不満分子の掃きだめ

 必要以上に相手にするのも同次元のレベルに堕ちる気がするが、インターネット上の匿名掲示板「宿坊」が柳原滋雄ひとりにあたふたしている。まるで狂った“野犬の群れ”が好き勝手にそれぞれで吠えているような状況にも見える。顕著な特徴は、“便所の落書き”らしい品性の欠如ぶりと、さらにはよそ者(平たくいえば異分子)への排他性だろう。彼らはあのようなレベルの投稿をたくさん並べて、社会的にどのように見られるのか、気にならない人たちである。
 もともとこの宿坊板は、数年前は現在とはまったく違う雰囲気の掲示板だったと指摘されている。それが一変したのは2年余り前、一人の人間が参画したことによって始まったとされる。「信濃町の人びと」――。実際はこのハンドルネームは実態とはまったくかけ離れているようで、この人物は教団総本部のある新宿区信濃町に住んでいるわけでもなく、さらに信濃町(教団を示す俗称)の会員でもすでにないらしい。実際は、信濃町を“追放された人”にすぎないようだが、同人の特徴を端的に示せば、波田地グループの主要人物の一人というところに意味があるようだ。
 長年の分派活動などによって波田地克利が教団から除名処分を受けたのは2013年12月(不服申し立てにより最終的な決定は翌年4月)。それ以降、宿坊板は波田地グループによっていいように使われだした感がある。従来は、専用メーリングリストや専用ツイッターなどを用いて教団内で分派活動を行ってきた同グループだったが、この匿名掲示板を自分たちの≪情報発信のツール≫として活用するようになった。
 背景にあったのが、波田地克利の教団除名であり、それによって、自分たちの正当性を対外発信するための場が急務になったグループ内の事情があった。今年4月、法廷で証言することになった波田地本人は、自分たちのメーリングリストやツイッターが「それほど活発ではなくなった」と述べていたが、それはそのまま、彼らの活動の矛先が、従来の閉鎖空間で行われていた情報交換や意見表明から、公開掲示板を使った対外的な情報発信へと移行したことを、グループの中心者が法廷の場で自ら証明した姿にほかならない。 
 繰り返すが、波田地克利が教団を最終的に除名されたのは2014年4月。除名された理由は、①独自グループの形成②分派活動③マスコミへの情報漏洩というものである。特に長年にわたり「オフ会」と称する泊りがけの勉強会などを公然と継続し、教団内の組織内組織の形成を図ってきたとされる。中心者である同人が「隠居」と称するような性質のグループであり、その結果、信仰が持つ本来の清新な息吹を失い、不平不満・批判などを主体とする現在のような体質が出来上がったようだ。
 一面からいえば、彼らの特質は≪群れる≫ことに見られる。群れることで互いの主張を肯定し、互いの傷を舐め合う。一種の動物的本能といえばそれまでだが、組織内における別組織の構築は、いずこの世界であれ、非難の対象となっても歓迎されることはない。
 当コラムでは、教団内部に発生した2つの組織内組織の現状を扱ってきた。結論として、波田地一派は、池田名誉会長の指導を都合のいいように利用・曲解する不満分子(多くの除名者を含む)およびその賛同者たちによって構成される、批判のための批判を繰り返すためのグループというしかない。

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