元職員3人が属した「足軽会」の実態 4   全員「4000万円」規模の戸建て住宅を新築

野口宅 現在、信濃町本部でのサイレント・アピール活動などを行う元職員の3人の居住実態を調べてみると、さまざまな状況が見えてくる。前回、神奈川県川崎市内の100メートル圏内に固まって住んでいる状況を指摘したが、それはアパートなどの間借りではなく、全員が約5年以内に新築した一戸建て住宅である。いずれも、足軽会の実質的な中心者=Xの周りに、寄り添うように集住したもので、時系列で示すと以下のようになる。

2008年11月  Xが新築住宅を購入し、一家で当地へ転居
2011年 8月  野口裕介がXの徒歩3分の距離に新築一戸建て(3階建て)を購入
2012年 9月  小平秀一・滝川清志がXの4軒隣に土地を購入
同 年 10月  【3人が教団から懲戒解雇処分】
同 年 12月  【3人が解雇無効訴えの裁判を提起】
2013年 4月  小平秀一・滝川清志が土地の上にそれぞれ2階建住宅を新築
2014年 6月   【3人が教団から除名処分】
2015年10月   【3人の完全敗訴が最高裁で確定】

滝川宅(左)と小平宅(右) 普通にこれらの経緯をながめてみると、さまざまな疑問がわいてくるはずだ。3人はいずれも「4000万円」規模の借り入れのもとに土地・建物を購入しており、毎月の住宅ローンの支払い額はかなりのレベルになっていることは容易に想像がつく。しかも住宅あるいは土地を購入した時期は、教団から懲戒解雇処分を受ける直前あるいはわずか1年前の時期である。いずれも彼らが東京の信濃町本部から地方に転勤している時期に購入されたものだ。そのように職業的状態が不安的な時期に、わざわざ川崎市のXの自宅の周辺に、将来の「定住用」と見込まれる高額の土地・建物の購入に至ったのは、どのような理由からか。
仮に、裁判の打ち合わせなどのために固まって住むほうが便利ということなら、上記の時系列の表から明らかなように、住宅購入は裁判の提起「以前」からすでに始まっていた。さらに打ち合わせ等のためだけに、100メートル圏内にわざわざ集まって住む必要性も薄い。
いまだ定職に就いているふうのない元職員3人は、毎月求められているはずの高額の住宅ローンの支払いをどのようにして行っているのか。疑問は膨らむばかりである。

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