波田地一派「田口伸明」の覆面を剥ぐ(中)  波田地克利と利用し合う関係

 さて、本題はこれからだ。創価学会本部職員だった田口伸明(41)が懲戒解雇された後、同人に対して真っ先に支援の手を差し伸べたのが、実はこのサイトの話題の中心・波田地克利(58)のグループだった。同グループのオフ会と称する勉強会(分派活動)に、田口は二度にわたって講師として呼ばれている。いずれも解雇された翌月の2012年4月のことで、会場は中部と中四国だった。このとき田口は実名では登場せず、使った偽名は「大久保新平」というものだったらしい。新平は、彼の故郷の偉人、江藤新平にあやかったようだ。
 波田地グループは、この田口を支援するために、10人前後を限定とした専用ツイッターまでわざわざ発足させたという。同人の解雇直後からこのような支援体制を組んだ経緯から見る限り、それ以前からも田口は波田地らの影響を強く受けていたことがうかがえる。
 その後、積み重なる分派活動や組織内組織の構築で波田地自身も除名処分となるが、その時期は、田口が除名処分を受けた同じ年の暮れのことだった。つまり2人は同じ2013年に、仲良く除名処分となった間柄である(波田地の正式除名は翌年4月)。そのためか、2人の仲間意識は一層強くなった可能性がある。
 この田口、いまでは「宿坊」板にさまざまな名前で登場するといわれている。教団職員時代に陰でコソコソと幹部批判の原稿を書くなどしたノウハウを生かし、いまでは匿名掲示板でこれまた「覆面」をかぶったまま、さまざま匿名で投稿しているようだ。どこまでいっても名前を出そうとしない、いや出すことのできない人物なのである。
 近年の教団をめぐる報道においては、マスコミへの情報提供も彼が中心となって動いてきたようだ。くだんの「フライデー」の記事も、同人が関わっていたことが波田地本人の口から明らかにされている。
 そうした彼らの根底にあるのが、「我こそ真の池田門下」「本物の弟子たち」といった自負心というから、その社会常識の欠如と思い上がりのはなはだしさ、さらに精神の倒錯ぶりには驚かざるをえない。
 私の記憶では過去に一度だけ会った際、彼は「布団屋の倅です」と殊勝に語っていた。佐賀県には、息子の将来の活躍を楽しみにしながら、中学時代から苦労して東京に送り出した両親らがいたはずだが、郷里のご両親はさぞかし嘆かれているにちがいない。

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