訴権の濫用判決「確定」から20年

本日は世紀の大虚報といわれた信平狂言訴訟が確定して20年の日となる。1996年2月、週刊新潮を舞台に始まったこの謀略劇は、日蓮正宗内の活動家グループ「妙観講」(講頭・大草一男)が関与して行われたもので、大草の右腕と呼ばれた副講頭の佐藤せい子とともに函館市の信平夫婦の家を訪れた週刊新潮デスクの門脇護は、そこでさまざまな工作を行った(詳細は取材テープが後に外部流出)。門脇はそこで、手記を発表するだけでなく、訴訟を起こすことを提起し、実際にその後弁護士事務所に同行し、それがうまくいかないとなると自ら出身大学のツテをたどって弁護士を確保。この訴訟を起こさせた経緯がある。要するに、記者が自分の手掛けるキャンペーンに真実味をもたせるために「自作自演」で起こしたこの裁判は、最終的には「事実的根拠が乏しい」との理由で、通常の「棄却」ではなく、「却下」という強い表現でハネられる結果となった。その判決が最高裁で確定したのが20年前の本日だ。当時の「週刊新潮」編集長であった松田宏はすでに鬼籍に入り、手記掲載と訴訟提起に関わった門脇護は、今では「門田隆将」と名前を変えて、活動を続ける。

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