波田地グループ「離散」の原因

教団内で組織内組織を構築し、執行部批判におよんだ波田地グループ。その結末は波田地本人の除名であり、その仲間らの処分であった。同グループがこうした結果を生みだす原因となったのは何か。ひとえに中心者である波田地本人の一念の狂いにあったというほかない。いうなれば、無意味な反乱軍を「扇動」しようとする役割にすぎなかったからだ。

波田地は第2次宗門事件において一定の働きをした人物とされている。だが、同人には地道な信仰姿勢が欠けていたのか、気の合う仲間のみで活動するようになり、時には行楽地に集まっては宿泊して交流するなど、自己を中心とした派閥行動にまい進するようになった。本人にとっては、地道な活動より、そうした行動のほうが「楽」だったとも思われる。

分派集団はそのまま中心者・波田地の影響を強く受けるようになり、波田地が執行部への批判をするようになると、それに同調する者も増えていった。それらが現在に至る要因である。

中心者の一念が狂い、自分勝手な道に入るとき、その周りにいる者も巻き添えとなって道を誤ることは、古今東西の歴史が示している。このことは足軽4人組にもまったく同じことがいえる。

彼らにとっての現在の活動は、しがないネット掲示板で、建設性・生産性のカケラもない揶揄や中傷、揚げ足取りを繰り返すことくらいしか残されていない。どこまでいっても「リアル」でなく、「バーチャル」な世界で生きていくしかないのだ。付く人間を間違えば、人生も狂ってしまう。波田地を信じて付き従った人間は、目を覚ましたほうがよい。

 

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