文書を隠す行為は、未来の人たちに無用な負担をかける

本年浮上した最大の政治課題の一つが公文書管理のあり方にあることはもはや疑いようがない。本日付の朝日新聞は公文書管理法の成立に道筋をつけた福田康夫元首相にインタビューしている。その中で、かつて終戦時、陸軍省が都合の悪い資料を燃やした過去を取り上げ、「きちんとした記録さえあれば歴史の一部の拡大解釈や過小評価が起きにくくなる。未来の人たちの負担を減らすことになる」と語っているのに納得させられた。いわゆる南京大虐殺とされるかつての日中戦争における惨事も、陸軍が公文書をきちんと残していれば、いまのように事件があったかなかったかといった「無用な議論」に振り回されることはなかったと思われるからだ。その意味で、日本人は、都合の悪いものを隠そうとする民族的傾向があるのかもしれない。公の仕事に関わる人間は、こうしたパブリック意識と無縁であってはならないと感じる。

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