竹中労にあって佐高信にないもの

極めて個人的な見解を述べることにする。竹中労という人は幼少時代、母親の愛情を十分に受けられず、戦後には日本共産党の“洗礼”を受けた。同党のまやかしを自分の肉体で経験していた。人間主義を標ぼうしながら、実際はとことん「非人間主義」である同党の体質をである。浅草の小さな新聞社に席をおき取材をした。食えない時代にはたまたま学会員の定食屋から善意の施しで生活を続けた。その竹中が晩年、第一次宗門問題で言論の分野において何ら反論せず、やられ放しでいた教団を守るために助太刀をする格好となった。当時の教団が受けた攻撃自体が事実に基づかない部分が多く、竹中の義侠心にかられた行動であったと思われる。その縁で、月刊「潮」で4年間にわたり、教団の初代会長である牧口常三郎のルポルタージュを連載し、4冊の本にまとめた経緯がある。この間、ルポルタージュ研究会と称して、若い人たちに自分のルポルタージュ技術を教えようとしたこともある。私はそのころ、数回、影響を受けた浅い関係にすぎないが、竹中には民衆への愛情というものが明確に感じられた。庶民に対する同じ位置からの感情である。それは決して上からの目線ではなく、むしろ下からの目線であった。ひるがえって、佐高という人に私はそうした目線を感じたことは一度もない。竹中労の死から30年。逝去から20年の節目には河出書房新社から竹中に関する特集本が出版されるほどに近年まで影響を与え続けている存在だ。その魅力は、庶民感覚としての本人の情念にあったと、個人的には感じている。

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