コラム日記 - 記事一覧
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2025/8/18 6:41
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企業団体献金について
この問題の最大のネックは政治が捻じ曲がる点にあると感じる。必然的にワイロ性を伴うこの献金によって、本来保護されるべき弱者が、逆に保護されない方向に向かう局面のことをいう。端的にいえば、法人税を上げず、消費税を上げてきた政治の行動などに表れてきた。不利益を被っているのは一般消費者ということになる。もう一つは、この集金方法の公平性のなさだ。企業団体献金は献金提供者への利益誘導を半ば目的とするため、献金先は必然的に与党に集中する傾向が生まれる。一方で、野党には向かわないという傾向がある。逆に言えば、自民党が下野し、他の政党が与党となって定着すれば、この献金は自民党には向かわなくなるという関係性にある。一般庶民の感覚でいうと、不公平で、さらに政治を歪めるこの制度は、抜本的に改革してほしいというものだろう。自民党議員が選挙対策に必要と主張したところで、一般庶民は野党と同じ土俵でやってほしい、必要な範囲で賄ってほしいと主張するのが実情だろう。この問題で一向に改革を進めようとしない自民党とともに、それに同調する公明党も、一般社会から見れば“同じ穴のムジナ”にしか見えない。「ものわかりのいい議員」が増えた現在、改革精神が横溢していた同党草創期の姿を、もはや目にすることはないのだろうか。
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2025/8/17 11:31
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「勝てば官軍」の弊害
安倍元首相は第1次政権下で行った唯一の国政選挙、参院選においてこれほどにない見事な惨敗(先の7月参院選よりさらにひどい負けっぷり)を喫したが、いまの石破首相と同じように「辞めない」選択をし、その挙げ句、体調を崩した。選挙で負けるということがどのような作用を働かせるかを身をもって「学習」した元首相は、第2次政権ではひたすら「選挙第一主義」をとるようになった。やっている感を常に演出し、政権の評判低下に関わる政府内文書(公文書)を意図的に公開せず、公明党という集票マシーンと、統一教会という禁断の果実に手を染めることで、万全の態勢をとってきた。その帰結が“国政選挙6連勝”という結果ではあったが、この目先重視の自分ファースト政策は、この国の基盤を大きく傷つけ、結果的は日本の政治と社会を劣化させた。要するに、自分の時代さえ安泰であればそれでいいという近視眼的な自己本位な政治姿勢であり、国の将来を慮った政権でなかったことが明らかだ。一方で石破政権は上記のような選挙に対する厳しい認識は結果として持てていなかったようで、衆参選挙で与党が過半数を割る結果となった。選挙技術の優劣でいえば、石破首相による選挙戦術が劣ったことは結果として間違いなかろうが、その点は石破政権の甘さと指摘するしかない。いずれにせよ、マスコミの世論調査が上ろうと選挙結果はやはり最大限に尊重されるべきだ。私は石破首相は退陣せざるをえないと見ているが、一方で安倍元首相の「(選挙で)勝てば官軍」という姿勢も全く肯定できない。当然それらを前提としながら、日本の未来をどうつくるかが第一義でなければ、現有権者や未来の住民は浮かばれない。
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2025/8/16 10:49
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参政党から学べること
結党してわずか5年の政党が国会の“台風の目”となっているためか、多くのジャーナリストがこの党の研究・取材を始めている。恥ずかしながら、私もその一人だ。同党はもともと日本共産党や公明党をモデルに始めたとの新聞報道があったが、当初の発起人である5人の中に、元共産党政策委員長であった筆坂秀世氏の元秘書が入っていたことは知る人ぞ知る。そのためか、地方組織を重視し、多くの地方議員を抱えているほか、地方組織も網羅してつくられているようだ。すでに衆院3、参院15の無視できない勢力となっているが、18人のうち9人が女性議員(女性国会議員比率50%)という姿は、明らかに共産党をモデルにしたと見られる(現在の共産党は40%、公明党はわずか13%)。日本共産党は1950年代初頭、暴力路線などをとったことで壊滅的打撃を受けたが、その後は女性を前面に登用し、同党のイメージを清潔なものに変えていった面がある。そうした手法を完全に真似していると見られるからだ。昨日も国会議員全員と地方議員70人の計88人で靖國参拝するなど参政党の歴史観は事実ベースで見てもおよそ肯定できる代物とはいえないが、その政治的手法には見るべき価値がある。例えば「企業・団体献金を受けない、党員参加型の運営」もそうだ。党員の会費は月1000円。党の意思決定に参加できる運営党員は月4000円。月払いは自分たちが党運営に参加する意識をもつための効用があるそうだ。この点も共産党の党費支払いに近いものがある。さらに自民党のようにいまだ企業・団体献金に固執している頑なな姿勢に比べれば、有権者のイメージは正反対のものとして映るはずだ。企業・団体献金に関するこの姿勢の違いは、次期衆院選において、決定的な勝敗の分かれ目につながりかねないと私は見ている。
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2025/8/15 6:17
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戦後80年の「8・15」
敗戦記念日となる本日の全国紙面は特色が分かれた。編集幹部の熱量がそのまま紙面に表れた形だ。通常のルーティーン的な特集という印象を受けたは朝日、読売、産経。一方で並々ならぬ熱量で紙面をつくったことが明らかに見えたのは毎日新聞だった。私は6大紙の最初に必ず毎日から手を取るようにしているが、それは偶然としても、紙面の量(ページ数)、現代世界に結びつける独自の角度、村山談話起草者などのインタビュー対象の人選など、他紙とはまったく次元の異なるものだった。さらに1面では同社主筆が文章を掲載し、次の言葉で締めくくる。
「私たちは偏狭なナショナリズムをあおった教訓を胸に刻み報道を続ける。今を戦間期にせず、『戦後』を続けよう。まずは100年を目指したい」
戦後100年といえばこれから20年後。私はあまり生きている自信がないが、80歳となっている。現実性のある未来だけに、それまでは絶対に戦争をすることは止めようとの新聞社としての意思表明といえる。新聞は「個性ある新聞」だけが生き残ると思っているので、毎日にはぜひ頑張ってほしいと願うばかりだ。1987年毎日新聞社の入社試験のとき、岩見隆夫氏だけが私に面接で質問をぶつけてきたことをふと思いだしたりした。これから20年、日本が戦争しない、巻き込まれないために、わずかながら微力を捧げる決心だ。
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2025/8/14 7:48
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歴史観は国家の基盤
石破首相がいつ「戦後80年見解」を出すかということが新聞紙上でかまびすしい。いずれにせよ閣議決定された正式の「首相談話」は出ないと決まっているようなので、あとはいつ首相の個人的な見解が発出されるかということだろう。ただし状況としては、戦後80年たっても南京大虐殺はなかったとの言説が政治家から堂々と発信されるような事態には、やはりクギを差す必要を感じる。日本が行っていることは一部の日本人にせよ、歴史家たちが厳密な事実をもとに確定させた歴史的史実を、都合よく捻じ曲げる行動によって永遠にこの問題が解決しないことを意味するからだ。もともと未解決の要因は、終戦時に都合の悪い文書を一斉に焼却することで「証拠隠滅」を図ったことに端を発する。最初から事実を認める気がなかった政府の姿勢の延長が、いまもつづいているにすぎない。だがアカデミズムやジャーナリズム(産経新聞を除く)は、すでに事実を確定させている。あとはそれをもとに、どう収束させるかという政治的技術に関わる問題だ。その意味で、日本民族を全体として見た場合、誠実とはいえない。事実を認めないから、相手への謝罪も届かない。永遠に前向きの関係が構築できない悪循環を繰り返すことになる。そこにくさびを打つのが、80年の節目でなくてはならないと強く感じる。
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2025/8/13 6:44
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妄想に生きる時代
戦後80年の8月、敗戦時を知る人はすでに当時子どもだった人に限られる時代となった。そのため身近な家族関係などの話ができる人にとどまるとの指摘をしたのは本日付毎日新聞に登場した加藤聖文教授(駒沢大学)だ。今回の参院選では南京大虐殺を否定する日本保守党党首の百田尚樹が当選したほか、参政党の当選者も同じ主張を行った。自民党にも同じ主張をする人間がまぎれている。この問題は安倍元首相が同様の認識をもっていたため、2012年の第2次安倍政権の発足以来、公明党にとっても「タブー」に近い事柄となってきた。私がいい加減、安倍政権のくびきを離れよと主張するのはそのためだ。戦後80年のこの時期、日本ではまともな歴史教育は行なわれておらず、なぜあの局面でそのような事件が起きたのか、1000万人以上が殺害された日中戦争で、南京大虐殺の数万人規模の殺害がなぜクローズアップされるのか、など伝えるべきことがたくさんある。なぜクローズアップされるのかの答えをいえば、いまも南京大虐殺の事実を認めない日本人が一定数存在するため、中国にいいように“利用”されているというのが実態だ。このままでは戦後100年たっても同じ状態が続く。現実政治が考えるべきことは、歴史教育をいかに正しく定着させるかという一点に尽きる。日本人はいずれ同じことを繰り返す。その防波堤となるのは、未来を見通した“本物の政治”の所作にほかならない。
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2025/8/12 6:46
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日航機事故から40年
日航機墜落事故から40年となる朝である。1985年8月12日夕刻、私は大手町の日本経済新聞社の編集局にいた。当時、アルバイトをしていたからである。共同通信のピーコ(速報)でその事故のことを聞いた。それから編集局内は騒がしくなり(私のバイト先は社会部ではなかったので、極端ではなかったが)、日経関係者も同乗していたなどの話が飛び交った。私が大学3年生のときだ。このころ、新潮社の社員として「週刊新潮」に配属されていた門田隆将こと門脇護は、事件の報を聞き、すぐさま現場に駆け付け、現場に一番乗りしたとの武勇伝が同編集部内で語られてきたと聞く。だが同人はノンフィクション作家として独立後、この問題をテーマにした作品で大きなヘマをやらかす。遺族が書いた手記を作品に引用する際、出典を明記せず、そのままキーワードとなる言葉を含めて自分の作品に記載したからだ。遺族から著作権法違反で提訴された同人は、一審、二審、最高裁とも連続して負けつづけ、司法から「盗用男」として断罪される結果につながった。最高裁の断罪から数えてすでに10年をすぎたが、同人は何事もなかったかのように今も平然と仕事をつづけている。この業界は、並みの神経の持ち主では長つづきせず、いかにツラの皮が厚いかだけを試される業界と言い替えてもよさそうだ。そういえば、アウシュビッツにガス室はなかったという稀代のデマで文藝春秋社を追われたオッサンも、平然と仕事をつづけている。これが日本のメディア業界のレベルであり、実態なのだ。
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2025/8/11 4:57
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東京大空襲を予見した桐生悠々
1933(昭和8)年の今日、信濃毎日新聞の社説で「関東防空大演習を嗤う」を書いて同新聞社の辞職に追い込まれた桐生悠々という言論人がいた。1941年9月に68歳で亡くなっており、日米開戦には接していないが、軍部政府に抵抗した新聞人として今も名を残している。その後、関東でも東京大空襲(1945年3月)が起きるなど、桐生の予言はそのまま的中する形となったことも大きい。辞職後、桐生は「他山の石」という個人誌を発行して生涯を終えたが、企業内ジャーナリストでもこのくらいのことはできたという一つの見本であろう。すでに「新たな戦前に入った」と称される現在の日本にとって、ある意味でいまは「昭和8年」と同義であるかもしれない。私にとって重要なことは、桐生が冒頭の社説を書いたときの年齢が、いまの私と同じ60歳であるという事実だ。私は企業ジャーナリストではないのでその点は異なるが、桐生の生き方はそのまま、この業界で飯を食う者の模範である。もちろん当時の日本社会にSNSなどの文明の利器は存在しなかったが、この利器があることのメリットとデメリットでいえば、少なくとも「戦争防止」という観点からすると、デメリット(大衆操作・扇動)よりもメリット(正確な情報拡散・共有)のほうが上回るのではないかと勝手に考えている。
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2025/8/10 6:33
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『ある神話の背景』
創作にたけた小説家が、時に貴重な取材記録を遺すことがある。作家・曽野綾子(1931-2025)の作品『ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』もそんな作品と思えてならない。題材は10数年前にも話題になった沖縄戦(1945)における慶良間諸島での集団自決を扱った内容だが、読めばわかるが、よく取材している。米軍上陸時に300人規模の集団自決が発生した渡嘉敷島のケースで、現地の司令官であった赤松隊長による軍令があったかなかったかが焦点となる。そのことを書名の「神話」の2字に託した作品ともいえるが、著者が当事者たちに果敢に取材した限りは、戦後最初に書かれた沖縄タイムス『鉄の暴風』は短期間で取材執筆された“やっつけ仕事”で事実の裏づけが怪しいと指摘し、実際は赤松隊長の直接命令はなかった旨が描かれる。かといって、同隊長の責任が免責されるわけではなく、当時の国家としての態勢が捕虜になることを禁止した結果生じた惨劇であり、国家の罪としての側面は否定できない旨を浮き彫りにする。この作品は曽野綾子の40代前半での仕事であり、作家として脂がのった時期に書かれた。貴重な作品と感じつつ、再読した。
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2025/8/9 11:26
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沖縄の台風
沖縄県豊見城市に「沖縄空手会館」が竣工した2017年から数えて25回以上沖縄・東京間を往復しているが、私の便は一度も台風で欠航になったことがない。ただ一度だけ、現地滞在中に台風が直撃したことがあった。それでも地元で大した被害は生じなかった。沖縄では昔はしばしば大型台風が“直撃”し、甚大な被害を繰り返したが、最近は直撃がなぜか減っているというのが大方の認識だ。その理由を創価学会員は特別の思いで受けとめている。今回も個人的に台風を免れそうで安心している。
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