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2016/10/7 11:14
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日蓮正宗批判サイトを学会幹部批判サイトに変えてしまった波田地一味
インターネット上の匿名掲示板「宿坊」板が大きな変化を見せるのは一昨年の7月ごろだったとされる。それまでの同板は、幾つかある日蓮正宗批判のための板の一つだったというが、「信濃町の人びと」と称する実際は“信濃町を追放された人”が登場し、それまでの日蓮正宗批判の板から、創価学会幹部批判のためのサイトに≪変身≫したというのがこれまでの経緯だ。波田地一味がこの板に関与することで、板の性格まで変えてしまったというわけである。 波田地本人が組織内組織の構築および会内を攪乱する分派活動(破和合僧)で除名処分を受けたのは2013年12月。同人が不服申し立てを行って棄却決定されたのが翌年4月。ここで除名処分は正式に発効した。これに対し、同人がさらに不服として法廷闘争に手段を移したのが同年9月。つまり宿坊板の異変は、波田地の除名処分が確定し、同人が法廷闘争(創価学会提訴)に移行するまでの間に起きたことになる。 かの悪徳ペテン師・山崎正友がマスコミなどを利用して大々的に暴れ出したのもやはり除名を前後とした時期であり、その意味では、波田地らの行動もそれと似通っている。 また同人らの「私は池田先生を批判していない」「学会を批判しているわけではない」「学会内の悪い一部の幹部を批判しているだけだ」などとする主張も、過去の反逆者と共通する論理にすぎない。 かつて脱会した者たちも、戸田会長に反逆しているわけではない、後継のいまの体制を批判しているだけだと主張するような者がいた。だがそうした行動をとることで、「戸田の命よりも大事な創価学会の組織」といわれた教団の組織を、攪乱している実態に気づかない、あるいは敢えて見ないフリをしている点も共通している。 彼らは自分のやっている行動が、客観的に教団にどのような影響を与えているかという視点を決定的に欠いている。要するに、不確定な根拠なるものをもとに教団内部を混乱させているだけにすぎないのに、あくまで自らの正当性を主張しようとする。こうした行動は、先の山崎正友のそれともよく似通ったものだが、当方はこれらは一種の病気に近い行動と感じている。
【ご連絡】 当方のパソコンに、この一カ月ほどの間に悪意のある不正プログラムが埋め込まれていたことがこのほど判明しました。不正な手段によって得られた情報が使われたと判明した時点で、当方としては必要な措置を直ちに取ることを言明しておきます。(Y)
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2016/10/6 11:14
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人間の本性を浮き彫りにした25年 ~ 第二次宗門事件と波田地問題
創価学会が日蓮正宗と決別して来月で早25年を迎える。前近代的な僧俗体質(僧が上で信徒が下)から独立し、“世界宗教”として本格的に再スタートしたという意味で、教団内では「魂の独立」と形容されてきた。会内では「第二次宗門事件」などとも呼ばれてきたが、この25年の歳月は、それに関わった人間の本質を浮き彫りにするにはそれなりに十分な時間だったといえよう。 当時、宗門問題の対策に当たった一人である波田地克利(58)は、現在、創価学会を除名された身である。同人は1991年当時、日蓮正宗の活動部隊とされる妙観講(講頭・大草一男)の幹部から自宅の固定電話を違法盗聴されていたことが後に発覚し、関係者らを民事提訴したものの、裁判所に日蓮正宗関係者の責任を認めさせることはできなかった。要するに決着をつけることができなかった。 この一件が大きなトラウマになったのか、あれから25年たって、同人は現在、創価学会と「対立」する立場にある。それだけでなく、自身の裁判の中で、自身が過去に禄を食んだ教団を攻撃・批判するために、25年前に激しく対峙していたはずの妙観講の機関紙「慧妙」のバイアスのかかった記事内容を、自分の立場で延々と大量引用する始末である。 要するに、決着をつけるべき立場にいた人間が、25年たって、別の側に身を転じた。本人は妙観講と手を組んだわけではない、機関紙を引用しただけだと弁解するかもしれないが、およそ25年前には考えることもできなかったような“変節漢”ぶりである。 歳月はその人間の本性をつまびらかにする。 宗門問題の決着をつけるために本来尽力すべき立場にあった人間が、いまではそうした行動はまったく見せず、逆のことをやっている。こんな“言行不一致”の人間を信頼してはならない。そのことだけは、はっきりと言えるはずだ。
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2016/10/5 11:13
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匿名多重ハンドルの男 田口伸明
昨日も宿坊板で「大石小石」というハンドルネームの人物が多くの書き込みを行ったようだ。この人物の実名は田口伸明と見られ、自分でもよく「他愚痴です」などと書き込んでいることからも明らかだ。もはや正体がばれてしまっている以上、そのような反応しかできないものと見られる。この人物はほかにも「皆本」「ヨッシー」「雄教」「真実」「解説者」など複数のハンドルネームを使い回していると見られ、昨日は新たに「聖教新聞社報道部」という名称を用いた模様。同人は現在、関西方面に居住。中学校から一貫教育を受けながら、教団本部の職場で陰湿な幹部批判を繰り返して発覚。職員の地位を追われ、今では教団の会員資格すらも除名処分となっているため、もはや教団の活動に戻ることができない。そうした身であるためか、現在はネットでの投稿活動が唯一の憂さ晴らしのようである。
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2016/10/4 11:10
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安倍首相に「経産省に騙されるな」と指南した政治の恩師
昨日付の毎日新聞に興味深いコラムが掲載されていた。山田孝男・政治部特別編集委員による名物コラムだが、先の加藤紘一・元自民党幹事長の葬儀で、安倍首相と小泉元首相が帰り際、90秒間鉢合わせとなり、車を待つ間なされた会話が紹介されていた。政治部記者がICレコーダーで記録したものだろう。それによると、以下のようなやりとりだったという。
●小泉 原発、なんでゼロにしないんだよ。 ◇安倍 (微笑、黙礼) ●小泉 原発ゼロのほうが安上がりなんだよ。こんな簡単なことが、どうしてわかんねえかな。ぜーんぶウソだぞ、経産省が言ってんの。原発推進論者が言ってんの、みーんなウソ。だまされんなよ。 ◇安倍 (苦笑、再拝。低頭のまま公用車へ)
安倍首相は原発再稼働に着手したが、長年の懸案である放射性廃棄物の処理問題が解決されたわけでもない。たかだか現在の日本人の生活をまかなうために、何万年も先までゴミを管理しなければならないというおよそ馬鹿げた思考に陥る。時が小泉首相時代なら、間違いなく、「原発ゼロ」に踏み切っていたと感じるのは私だけではあるまい。現在の首相官邸を役人サイドで切り盛りしているのは、かつての大蔵省の役人ではなく、経産省(旧通産省)の役人(=原発推進論者)であることはよく知られている。
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2016/10/3 11:09
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「波田地」の執行部批判の根は「私怨」
除名者に共通することだが、彼らは教団を追い出された経緯からして、教団や関係者に対し複雑な心情を抱いていることは想像に難くない。波田地の場合も同様で、一見するともっともらしいようなことを言っていても、一皮剥けば、そこにあるのは私的な感情にすぎなかったりする。同人らの造語と思われるが、教団の執行部を指摘した「四人組」なる言葉にも、そうした一面があらわれているようだ。 同人の大きなトラウマの一つに、妙観講幹部から違法盗聴された事件に対し、自ら民事裁判で訴えた件がある。第二次宗門問題で功績をあげた人間が、“鳴り物入り”で阿部日顕や大石寺、理境坊、大草一男を訴えたのだからそれなりのインパクトがあったはずだ。1999年12月に提訴された裁判は、最終的に2004年4月に最高裁で確定。結局、講頭である大草一男、法主の阿部日顕の責任を認めさせることはできず、違法盗聴を行った下手人の探偵会社への賠償が認められただけだった。つまり、当初の肝心の目的を達することができず、実質敗訴といってもよい内容だった。これにより、波田地は、教団の弁護士グループへの不信を最大限に強めた。 言うなれば、同人の≪転落の軌跡≫の重要な要素として、自分で訴えて、裁判に負けたという事実が重くのしかかっている。だが、客観的にみれば、訴えたのは自分自身なのだ。その責任が本人にまったくないということはありえない理屈である。しかし、同人は周知のように、その責任を第三者にほぼすべて転嫁するような態度を取り続けている。 それにしても、宗門問題の功労者が、その宗門に対して、自ら立ち上がって勝てなかったという冷徹な事実は、本人にとっては相当につらい出来事だったに違いない。責任転嫁が激しくなるのも、客観的なプロセスとしてはよく理解できる。 そうした鬱屈した心情に加え、同人は学生部時代から確執があったとされる谷川副会長への攻撃を強めていく。30年以上も前の、真実性の立証もされていないようなレベルの事件を持ち出すという、違法めいた手段を使ってだ。 この件はすでに今年4月までの段階で不起訴処分(名誉棄損罪)となったことは本人も認識し、本人尋問の場でもやりとりがなされていた。そこで波田地は、真実性(相当性)、公共性、公益性の3要件が満たされているかのような発言を行っていたが、客観的にはおよそ真実性の立証がなされているとはいえず(相当性すらも存在しない)、本人の独りよがりな主張であることは明らかだった。 結局、彼は証拠固めもしないままに、特定の幹部批判に走った人間にすぎない。その根っこにあったのは「私怨」である。
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2016/10/2 11:08
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「波田地」を妙観講並みの仏敵と認定する理由
異体同心は、教団ならではの伝統である。戸田会長はそうした和合組織について「戸田の命よりも大切」と表現し、未来永遠に守り抜くべき指標となっている。 波田地克利はそうした和合僧団の中にあって、自分たちのグループ内で、「本物の弟子たちによって、(執行部を)打倒せよ」と平然と呼びかけてきた存在である。しかも確たる説得力ある理由も示さないままにである。だが、池田名誉会長とともに同時代を戦ってきた執行部を退陣させ、その後にいったい何が残るのであろうか。およそ現実を見ていない、空想論者の言葉というほかない。波田地の行動は、わかりやすく例えれば、共産党の主張と何ら変わらない次元のものである。 政治の世界の話で恐縮だが、現実に一度も政権を取ったことのない革新政党は、言いたいことだけを言っていればそれで済む存在だ。その後のことを実際には考えていないし、考える必要もない。つまるところは無責任極まりない行動にすぎないわけだが、本質的な責任感を伴わない手軽さが彼らの特徴でもある。波田地の主張はそれに似通っていて、全体的な視野はなきに等しい。 結局のところ、彼は教団を攪乱しているだけの存在である。 池田名誉会長は、「『城者として城を破る』動きを許さぬことだ。師子身中の虫である『異体異心の者』と徹して戦い、その魔性の根を断ち切っていくことだ」(2008年4月9日付)と残している。和合僧団を攪乱する罪は、あまりに大きい。
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2016/10/1 10:11
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石を投げれば「除名者」に当たる掲示板
インターネット上の匿名掲示板「宿坊」は、さまざまな理由で創価学会の会員資格を剥奪された「除名者」がたむろする特異な掲示板である。小生の認識だけでも、以下の者が「除名者」と思われる。
「信濃町の人びと」「大石小石」「ヨッシー」「皆本」「雄教」「真実」「解説者」「谷川ひろし」「八尋みのる」「カンピース」
ほかにもたくさんいるはずだが、きりがないので、私のレベルでは掌握が難しい。言うなれば、除名者の、除名者による、除名者のための掲示板だ。 今年4月の法廷内における波田地証言によれば、波田地一味のメーリングリストなどは今も存在するが、そちらはあまり活発ではなくなっており、現在の情報のやりとりは公開の掲示板である「宿坊」に移行しているということであった。 その事実から考えてみると、彼らにとって仲間内では「宿坊」板でだれが何を書いているのかはわかっているということだ。一方で緊急事態があれば、あまり活発ではなくなった元の情報共有手段を使って、やりとりをしたり、方向性を指し示すこともできるということになる。「そろそろ柳原は放置しておけないので、この際、皆で一斉に叩こうじゃないか」といった指令もたやすく共有できるわけである。 結局のところ、「宿坊」は、教団除名者がうじゃうじゃとたむろする掲示板にすぎない。いずれもいわくつきの除名者ばかりと思われ、そんな素性を知ってか知らずか、与同する者たちも存在する。 彼らが除名された理由はさまざまと思われるが、波田地の除名理由はわかっている。一つは組織内組織の構築であり、具体的には特定のグループによるメーリングリスト等の継続とオフ会の開催など。二番目は分派活動で、「悪の三位一体」や「四人組」などと称して、確たる理由も示さないまま執行部打倒を呼びかけている現状は、教団の会則違反行為である分派活動に明確に該当することは言うまでもない。「四人組」の中には、現在の原田会長も含まれているようだが、同会長を事実上誕生させたのは池田名誉会長であったことは疑いようがない。その意味でも、彼らは、池田名誉会長の行動を直接的に批判・否定している存在に等しい。
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2016/9/30 18:08
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★堕ちた生き方 「反逆者」に見る共通パターン 6
元弁護士・山崎正友の人生は、一言でいえば、逆恨みの人生だった。私が取材者の立場でその晩年に接した限り、最も特徴的なことの一つとして、強烈な被害者意識があげられる。教団の生え抜き弁護士第1号として偉くなったのはいいものの、肝心の信仰のほうが伴わなかった。彼は教団が、信仰を基とする団体であることを忘れていたようだ。 山崎は、金儲けが第一の幸福と錯覚し、冷凍食品会社を経営するも失敗、数十億円の負債を抱え込む。その結果、数十億円の手形詐欺を働き、顧問先にも泣きついた。顧問先への恐喝行為が原因で実刑判決を受け、刑務所暮らしを余儀なくされる。そうした自身の境遇の原因を自分自身に求めるのではなく、逆に教団や池田名誉会長に“責任転嫁”したのが、彼の後半生の特質だった。 一方で、池田名誉会長から色紙をもらったことを自慢し、自分がどれだけ信頼されていたかを著書などで書き残している。自己正当化の心情の一環と思われるが、そうした行動は、波田地克利が多くの副会長すらまだもらっていなかった金褒賞をもらったと法廷内で自慢した姿とも似通っている。山崎は最後まで逆恨みに基づく批判活動を続け、最後はわびしく亡くなった。波田地も人生の最後まで、教団の執行部に対し、「四人組」などの主張を続けるだろう。 これまで見てきた最近の除名者のパターンをもとに、現代の青年たちが、彼ら「除名者」らの二の舞となる生き方をしないで済むように、小生なりに必要な心得を箇条書きでまとめておきたい。結局、どのような立場にたとうとも、崩れていく原因は、自分自身の中にある。教団があくまで「信仰の世界」である以上、自身の信仰の強さと深さがあくまで問われる問題だからだ。
○信仰の世界に「隠居」などという発想は通用しないものと思い知れ ○(不祥事を起こすなど)窮地のときこそ、自分は試されていると謙虚に自省せよ ○「自己正当化」と「逆恨み」のスパイラルに、よくよく注意せよ ○過去の栄光にすがるな 現在と未来にのみ生きよ ○間違ったことを間違ったと素直に認めることのできる勇気(=正直で、柔軟な精神性)を持て ○自身の欠点を鋭く指摘してくれる助言者を、必ず身の周りに持て
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2016/9/29 18:06
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★堕ちた生き方 「反逆者」に見る共通パターン 5
ついでにこの人たちにも言及しておかなければならない。川崎の3人組、「足軽会」なるグループの生き残りメンバーのことだ。彼らの場合は「不祥事」というよりも、学生部の地元組織内のトラブルが原因となっている。若者世代にありがちな成果主義の行き過ぎが部員の反発を招き、世代間で対立を生んだ。客観的にみれば、双方に行き過ぎた面があったということであり、その方向での解決手段を模索したが、3人組は最後まで頑なに自分たちの非を一点たりとも認めようとしなかった。その裏返しとして、「対話」と称する威迫活動を職場内において延々と続けた。「常識外れ」といえばそれまでだが、彼らの最大の問題点は、自分たちの信仰の問題を、政治の問題にすり替えて、自己正当化を図ろうとしていることである。 その心理的プロセスは客観的にはわかりやすいものだが、彼らが本来主張すべき対象物は、自分たちの「川崎学生部時代の幹部としての行動」に関してであるはずである。これが正しかったか間違っていたかが争点であったはずだが、彼らは、そのことにはほとんどふれず、世の中の脚光を浴びやすい政治的なテーマに飛びついてしまった。客観的にみれば、ほとんど「騙し」に近い。 3人組に顕著なのは、「逆恨み」の感情というよりは、どこまでも「自己正当化」を図り続けるという、あまりにも偏った行動面である。若気の至りといえばそれまでだが、それぞれ40歳近くになってくれば、そうとばかりも言っていられなくなる。 彼らがいま、政治にかこつけて教団批判活動を展開しているのも、これまで見てきた【不祥事 → 自己正当化 → 逆恨み → 処分(解雇・除名) → 批判活動(自己正当化を含む行動)】のプロセスにかなったものだ。最後は自己正当化を伴った批判活動に堕ちるしかない。それは、本当に教団をよく変えようとの一心だけから生じる建設的批判とは、やはり本質的に異なるものなのである。
●●お知らせ●● 当サイトのシステム異常により、新規の更新ができない状態です。現在、原因を調査中です。復旧次第、更新いたします。(Y)
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2016/9/28 18:06
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★堕ちた生き方 「反逆者」に見る共通パターン 4
最近の除名者といえば、この人物を抜きに語ることはできない。田口と組んで教団攪乱行動にまい進してきた「オタク」の波田地克利(58)である。 波田地は92年1月に教団本部職員入り。第二次宗門問題における功績を認められ、中途採用で引っ張られた。以来、聖教新聞社に籍を置き、青年部向け機関紙「創価新報」で仕事をした時代が長い。同人の「逆恨み」の感情を高めたのが、自身が日蓮正宗側から電話盗聴されていた事件の発覚であり、さらに自らの提訴、結果的に実質敗訴で終わった事件であったとされる。この結末をめぐって、関係者と心理的に対立し、教団の弁護士らに悪感情を抱いた。「妙観講に勝てなかったのはお前たちのせいだ」という気持ちの発露である。こうしたトラウマが背景となって、波田地の「不祥事」へとつながっていった面もあるようだ。 同人が聖教の職場を追われたのは2006年8月。教団に関する情報を外部漏洩したことなどを理由に、論旨解雇となった。重要なのは、このとき波田地本人は処分を受け入れる姿勢を示したことだろう。身に覚えがあったからと見るのが自然である。 その後、教団関係者による温情とも思われるが、翌年から教団の広告系の関連会社に職を得て、働き始める。この時代に彼は、自己正当化の心情と逆恨みの感情をさらに強めたようだ。親会社であるはずの教団の最高幹部数人に対する批判活動を始める。それらはいつもながらのコソコソとした隠密行動だったようだが、あるとき発覚。子会社の社員が親会社の役員を批判したのだから、二度目の職場を追われることになったのも当然だった。以上は2013年の秋のこと、それからまもなく教団から除名処分の通知を受け取った。 彼は長年にわたり、分派活動を続けてきた。メーリングリストを事実上主宰し、15年以上も継続していた。さらにオフ会と称する泊まりがけの勉強会に関与。メーリングリストでは、「本物の弟子たち」によって最高幹部を「倒さなければならない」などと参加者を“扇動”し、破和合集団を形成する主体者としての行動を問題視されることになった。 このように、【不祥事 → 自己正当化 → 逆恨み → 処分(解雇・除名) → さらなる批判活動(自己正当化を含む行動)】の方程式は、波田地本人にもそのまま当てはまる。
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2016/9/27 18:04
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★堕ちた生き方 「反逆者」に見る共通パターン 3
この「不祥事」は運よく世間に表面化することはなく、職場の上司らごく一部の人間に知られることになった。田口はこの件がきっかけになったのか、上司らと衝突するようになったといわれる。さらに陰に回って上司や教団幹部らの批判活動に精を出すようになった。内面的には、自己正当化の心情と他者批判が重なっていることは明らかで、彼は懲戒解雇処分の原因となる行動をとり始める。職場で得た情報などをもとに教団幹部批判の記事を、外部媒体で書いたり、情報提供したりした。
さらに似たような感情を抱いていた波田地らとの付き合いが、そうした心情を助長したことも明らかである。田口は自ら起こした不始末が原因だったにもかかわらず、上司らに逆恨みの感情を抱き、結果的に反逆の行動に至る。その過程で、職場を追われ、教団会員の資格を失う。まさに山崎正友が起こした一連の不祥事の流れと瓜二つといえよう。
辞めたあとはもう、教団攪乱に一直線である。行き場を失った彼は、波田地一味に同調し、今では「宿坊」板で、「大石小石」「ヨッシー」など多くのハンドルネームを使い、教団に対する離反工作活動を続けているとされる。
同世代の代表であり、たとえ大いに期待されていた人物であったとしても、人生においては足元をすくわれる危険性がある。またそのときにどのような振る舞いをするかが、人生の分岐点になるというよい見本であろう。
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2016/9/26 18:04
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★堕ちた生き方 「反逆者」に見る共通パターン 2
近年の除名者でいえば、田口伸明(41)の例がわかりやすいだろう。この人物は中学から創価学園で学び、創価大学まで進んだ。大学時代は学年の代表となる大学祭の実行委員長をつとめ、そのまま教団本部入り。池田名誉会長の秘書グループにそのまま配属された。未来部中等部長を務めるなど、青年部幹部の出世コースを進むように見えた時期もあったようだ。本人も将来は最高幹部を狙う野心を抱いていたとの話も残っている。だがここで、彼の人生を決定づける≪挫折≫ともいえる重大な出来事が生じた。ある破廉恥な「不祥事」を引き起こし、警察沙汰となったのである。 このとき、同人が自分の頭の中で描いていた人生プランは、事実上、音を立てて崩れ去った。ただし、彼がこのとき心から懺悔し、新たな気持ちでやり直していたら、もっと違った人生になっていたはずである。その後の≪転落≫の軌跡は、図式化すれば、山崎正友をはじめとする多くの反逆者と、まったく同じ道をたどるものだった。
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2016/9/25 18:03
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★堕ちた生き方 「反逆者」に見る共通パターン 1
教団を除名になったり解雇される人間には、必然的というべきだろうが、共通のパターンが見られる。古くは山崎正友を典型例とするが、自身の信仰活動がいい加減になり、それが生活上にあらわれる。山崎の場合は、世俗的な金儲けのために自ら冷凍食品会社を経営し、何十億円もの負債を抱えて倒産させたことが、同人の≪反逆の後半生≫を決定づけることになった。その図式を大まかに括ると、次のようになる。
不祥事 → 自己正当化 → 逆恨み → 処分(解雇・除名) → さらなる批判活動(自己正当化を含む行動)
共通するのは、これら一連の「反逆」のプロセスの中で、必然的に「自己正当化」という行動を介在させることにな点だ。「反逆」の方程式における、欠かすことのできない特徴といってよい。だがもともとの発端は、自分自身の中にあるものが外に出ただけにすぎない。具体的には自身が起こした不祥事などが原因となることが多いようだ。山崎の場合の「不祥事」は、放漫経営のツケというべきものだったが、どこまで行っても自身の気の緩みなどが原因であり、信仰上の言葉でいえば、魔に食い破られた姿にほかならない。 この≪転落≫のパターン(軌跡)は、昨今の退転者、脱会者、除名者にもそのままあてはまる。
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2016/9/24 18:02
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創価学会会長への大型インタビュー 朝日新聞
創価学会の原田稔会長が22日付の朝日新聞紙上でインタビューに応じている。タイトルは「創価学会はどこへ」と題するもので、オピニオン面のほぼ全面を使っての大型インタビューだ。質問の多くは政治にからむ事柄だが、目を引くのは、創価学会の会長が公明党の中から将来の日本国首相が生まれる可能性を否定していないことだ。
【朝日新聞デジタル】 http://www.asahi.com/articles/DA3S12571056.html
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2016/9/23 18:01
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群れるしか能のない不満分子の掃きだめ
必要以上に相手にするのも同次元のレベルに堕ちる気がするが、インターネット上の匿名掲示板「宿坊」が柳原滋雄ひとりにあたふたしている。まるで狂った“野犬の群れ”が好き勝手にそれぞれで吠えているような状況にも見える。顕著な特徴は、“便所の落書き”らしい品性の欠如ぶりと、さらにはよそ者(平たくいえば異分子)への排他性だろう。彼らはあのようなレベルの投稿をたくさん並べて、社会的にどのように見られるのか、気にならない人たちである。 もともとこの宿坊板は、数年前は現在とはまったく違う雰囲気の掲示板だったと指摘されている。それが一変したのは2年余り前、一人の人間が参画したことによって始まったとされる。「信濃町の人びと」――。実際はこのハンドルネームは実態とはまったくかけ離れているようで、この人物は教団総本部のある新宿区信濃町に住んでいるわけでもなく、さらに信濃町(教団を示す俗称)の会員でもすでにないらしい。実際は、信濃町を“追放された人”にすぎないようだが、同人の特徴を端的に示せば、波田地グループの主要人物の一人というところに意味があるようだ。 長年の分派活動などによって波田地克利が教団から除名処分を受けたのは2013年12月(不服申し立てにより最終的な決定は翌年4月)。それ以降、宿坊板は波田地グループによっていいように使われだした感がある。従来は、専用メーリングリストや専用ツイッターなどを用いて教団内で分派活動を行ってきた同グループだったが、この匿名掲示板を自分たちの≪情報発信のツール≫として活用するようになった。 背景にあったのが、波田地克利の教団除名であり、それによって、自分たちの正当性を対外発信するための場が急務になったグループ内の事情があった。今年4月、法廷で証言することになった波田地本人は、自分たちのメーリングリストやツイッターが「それほど活発ではなくなった」と述べていたが、それはそのまま、彼らの活動の矛先が、従来の閉鎖空間で行われていた情報交換や意見表明から、公開掲示板を使った対外的な情報発信へと移行したことを、グループの中心者が法廷の場で自ら証明した姿にほかならない。 繰り返すが、波田地克利が教団を最終的に除名されたのは2014年4月。除名された理由は、①独自グループの形成②分派活動③マスコミへの情報漏洩というものである。特に長年にわたり「オフ会」と称する泊りがけの勉強会などを公然と継続し、教団内の組織内組織の形成を図ってきたとされる。中心者である同人が「隠居」と称するような性質のグループであり、その結果、信仰が持つ本来の清新な息吹を失い、不平不満・批判などを主体とする現在のような体質が出来上がったようだ。 一面からいえば、彼らの特質は≪群れる≫ことに見られる。群れることで互いの主張を肯定し、互いの傷を舐め合う。一種の動物的本能といえばそれまでだが、組織内における別組織の構築は、いずこの世界であれ、非難の対象となっても歓迎されることはない。 当コラムでは、教団内部に発生した2つの組織内組織の現状を扱ってきた。結論として、波田地一派は、池田名誉会長の指導を都合のいいように利用・曲解する不満分子(多くの除名者を含む)およびその賛同者たちによって構成される、批判のための批判を繰り返すためのグループというしかない。
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2016/9/22 17:59
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池田名誉会長時代の反逆者
池田名誉会長時代の反逆者に、藤原行正という人物がいる。戸田門下時代の青年部で、戸田会長の死後も、それなりにまじめに仕事をした時期もあったようだが、後半生は明確に裏切り者となり、教団組織と敵対していった。当初は自分ではそのつもりはなかったかもしれないが、そういう道をたどったことは事実である。似たような反逆者に、龍年光という人物もいた。 彼らに共通するのは、我こそは戸田会長の弟子なりという一種の自負心だったと思われる。さらに戸田会長の後継であった池田名誉会長に対しては、自身の思惑もまじってか、複雑な感情を抱いていたようだ。その証拠ともいうべき本人たちの著作も残されている。 彼らは戸田門下であるという意識では共通していたが、その先のことは深く考えていなかった。戸田会長の「三代会長を譲るのは一人だが、そのときに分裂があってはならない。三代会長を支えていけ」との遺言を、自分の人生において果たすことはできなかった。 同じことは「現在」においてもそのままあてはまる。池田名誉会長に心酔し、「私は池田先生の批判はしていない」などと声高に述べる者に限って、その後のことは深く考えていないようだ。「現在の会長を中心に、団結していけ」という言葉があっても、あえてそれを乱そうとする人物やグループが出てくる。 もちろん不正やごまかしはどの世界においてもご法度だが、それが特定の個人的感情に基づいて意図的になされるとなると、組織が混乱する原因となることは言うまでもない。 結局彼らは、どれだけ綺麗事を並べようとも所詮は自分自身が中心なのであって、だからこそ、戸田門下出身の反逆者と同じ轍を踏むことになる。その本質を、厳しく見抜いていかなければならない。
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2016/9/21 17:58
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人は金でしか動かないと考える「宿坊」板のさもしい面々
追い詰められて焦りがあるのかどうか知らないが、「宿坊」板の常連たちから、柳原の裏にはバックがいる、そこから金が出ているなどの根拠のない主張が頻繁に飛び出している。彼らはそのような考えに立たないと、気がおさまらないということなのだろう。 人間が金でしか動かないと考える人間は、所詮、自分自身がそのような人間なのである。自分の大きさでしか、尺度を量れないということかもしれない。 当方にはそのようなものは存在しない。何度か書いたように、教団内において発生した「分派活動」の実態があまりにも度を超えているように思えたために、重い腰を上げたというのが正直なところである。だれの指図を受けたわけでもなく、自発能動で動いている。彼らの辞書には「一人立つ」という項目が決定的に欠けているようなので、所詮、金で動かされているという貧困な「妄想」しか出てこないのだろう。ほんとうにさもしい面々である。またそうした人間を中心に集まっている掲示板であることの証明ということも言えるだろう。 今後とも私なりに、≪便所のお掃除≫を続けていくつもりである。
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2016/8/31 11:43
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元職員3人の弁護士も足軽会
教団の元職員3人が解雇無効裁判を訴えて昨年10月に最高裁で敗訴確定しながらも、さらに蒸し返すような裁判を起こしていた問題で、現在の裁判における代理人は、足軽会のメンバーであったことがこのほど明らかになった。この2つの裁判における代理人はいずれも異なっているが、現在は“身内”に代理人を委任する状況となっている。 もともと足軽会なる任意グループがつくられたときのメンバーは12人ほどとされ、その後教団内で問題となり、処分検討の対象となったのは約10人。年数回の研修旅行や懇親会を行うなどの組織内組織を構築し、対話という名目の威圧的行動を繰り返すなどした。その処分対象者10人のうちの一人が、現在の蒸し返し裁判における代理人というわけだ。 この裁判で元職員の3人は、別の除名者・波田地グループらによる“愚痴の寄せ場”と化しているインターネット掲示板「宿坊」のコピーを22ページにわたって証拠提出。両グループの依存関係が浮き彫りになっている。
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2016/8/30 11:43
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創価学会に巣食った2つの分派グループ
私の認識では、現在、教団に対して訴訟を起こしている2つの分派グループが存在する。いずれも分派活動の結果、教団職員の立場を追われ、教団を除名された者たちの手による訴訟である。結論すると、どちらも社会的常識の欠如が根底にあると思われる。 最近も「週刊朝日」などで取り上げられた元教団職員3人による活動は、もともと川崎学生部の一部で結成された任意グループ「足軽会」なるものが母体となっている。だがこれまでの報道を見る限り、この「足軽会」という名称が出てきたことはないようだ。彼らにとっては、それだけ、積極的に表に出したい事柄ではないことがうかがえる。 この任意グループは2003年頃に結成され、中心者は教団職員ではない民間人だ。当初から「抜けることはから許されない」と中心者が厳命するような強制力を伴った組織であり、このグループの行動が上部組織などで問題となり、グループと関係ないと一筆書くように言われて拒否を続けたのが、上記の3人とされる。いうなれば教団職員とはいえ、社会人としての最低限のルールを弁えない「常識」の欠如が、彼らの立場をまずいものにし、最悪の結果へとつながったことがわかる。青年であれば青年らしく、間違いは間違いと素直に認める度量があればこのような事態には陥っていないはずだったが、彼らはあくまで頑なであった。現在はそうした真の処分の理由を隠したまま、政治問題に転化し、苦し紛れの活動を続けている。 一方の分派グループである波田地グループも、特定の人物を中心として固い団結を誇ってきたとされる分派活動の母体だ。中心者は波田地克利(58)で、グループ内で同人は「神のような存在」(関係者)とみなされてきた。いうなれば新興宗教の教祖に近い扱いを受けてきたと見られる。同人は逆恨みの感情と偏った正義感からか、確たる証拠もつかまないままに他人を攻撃し、しかもそれが教団の最高幹部となれば、事が穏便に終わらないのは、「常識」で考えればだれにでもわかることだ。この一派がいま、インターネット掲示板「宿坊」にたむろし、教団への不平・愚痴を拡散するツールとして活用していることは、知る人には知られている。 「依法不依人」の大原則に反する、こうした分派活動の結末は厳しい。彼らは教団内に発生したカルト的グループにほかならない。自身の正当化を図るために、いまもさまざまな動きをしている存在だ。
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2016/8/29 11:42
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私が波田地批判を始めた理由
私はもともとこの人物と面識がない。過去に何らの接点もなかった。なぜ突然この人物の批判を始めたのかいぶかる声もあるかもしれないが、同人一派のあまりに常軌を逸した行動が目に余ったというのが正直なところである。 すでに2013年末から間もない時点で、この人物が教団を「除名」になったことは耳にしていた。また教団に対し、裁判を起こしていることも認識していた。あるとき、その裁判の本人尋問の日程が判明したので、どのような人物であるか、好奇心にかられて法廷まで足を運んだのが今年4月のことである。小生も個人的に幾つかの裁判を経験し、裁判取材も多く行ってきた。それらの経験を踏まえてそこで見た人物像は、あまりにも拍子抜けするようなものだった。 この人物は、「私の最大の誇りを奪わないでいただきたい」と法廷内で懇願しながら、自分の立場を守るためか、雑誌フライデーの取材は全く関与していない、インターネット掲示板「宿坊」にもまったく関与していない、などと述べ立てた。 こうした姿を自分の目で見て、過去に法廷内で多くの歪曲証言を行った過去の脱会者の姿を思い起こした。なるほど、教団に弓を引く者には類似点があるものだと感じた。また「本当の敵は教団の内部から出る」との、戸田城聖第2代会長の言葉も思い起こされた。 ペテン師・山崎正友の晩年の取材に関わった者の一人として、脱会者・除名者の共通点をきちんと指摘することは、自身の責務と感じている。また波田地らの行ってきた分派活動は、教団の永遠性の確立をめざしているこの時期において、大きな障害になっていることも明らかと思えた。 一方で、私は個人的に、妙観講幹部が起こした過去の盗聴事件に関する民事裁判を抱え、この関連訴訟に波田地訴訟なるものがあった。当然ながら、裁判官もこのブログを目にする可能性がある。そこで同人への批判を始めると、裁判所に誤解され、自身の裁判に影響を与える懸念があった(実際はそんな心配は無意味であったが‥)。そうして自身の判決が出た段階から、徐々に言及したというのが率直な経緯である。「ペンを行使せよ」などと働きかけた第三者が存在するわけでもない。小生は、常に“一兵卒”の存在にほかならない。
※このサイトの運営および一切の記述は、柳原個人の判断によります。
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