「波田地」の執行部批判の根は「私怨」

 除名者に共通することだが、彼らは教団を追い出された経緯からして、教団や関係者に対し複雑な心情を抱いていることは想像に難くない。波田地の場合も同様で、一見するともっともらしいようなことを言っていても、一皮剥けば、そこにあるのは私的な感情にすぎなかったりする。同人らの造語と思われるが、教団の執行部を指摘した「四人組」なる言葉にも、そうした一面があらわれているようだ。
 同人の大きなトラウマの一つに、妙観講幹部から違法盗聴された事件に対し、自ら民事裁判で訴えた件がある。第二次宗門問題で功績をあげた人間が、“鳴り物入り”で阿部日顕や大石寺、理境坊、大草一男を訴えたのだからそれなりのインパクトがあったはずだ。1999年12月に提訴された裁判は、最終的に2004年4月に最高裁で確定。結局、講頭である大草一男、法主の阿部日顕の責任を認めさせることはできず、違法盗聴を行った下手人の探偵会社への賠償が認められただけだった。つまり、当初の肝心の目的を達することができず、実質敗訴といってもよい内容だった。これにより、波田地は、教団の弁護士グループへの不信を最大限に強めた。
 言うなれば、同人の≪転落の軌跡≫の重要な要素として、自分で訴えて、裁判に負けたという事実が重くのしかかっている。だが、客観的にみれば、訴えたのは自分自身なのだ。その責任が本人にまったくないということはありえない理屈である。しかし、同人は周知のように、その責任を第三者にほぼすべて転嫁するような態度を取り続けている。
 それにしても、宗門問題の功労者が、その宗門に対して、自ら立ち上がって勝てなかったという冷徹な事実は、本人にとっては相当につらい出来事だったに違いない。責任転嫁が激しくなるのも、客観的なプロセスとしてはよく理解できる。
 そうした鬱屈した心情に加え、同人は学生部時代から確執があったとされる谷川副会長への攻撃を強めていく。30年以上も前の、真実性の立証もされていないようなレベルの事件を持ち出すという、違法めいた手段を使ってだ。
 この件はすでに今年4月までの段階で不起訴処分(名誉棄損罪)となったことは本人も認識し、本人尋問の場でもやりとりがなされていた。そこで波田地は、真実性(相当性)、公共性、公益性の3要件が満たされているかのような発言を行っていたが、客観的にはおよそ真実性の立証がなされているとはいえず(相当性すらも存在しない)、本人の独りよがりな主張であることは明らかだった。
 結局、彼は証拠固めもしないままに、特定の幹部批判に走った人間にすぎない。その根っこにあったのは「私怨」である。

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