永住外国人参政権問題はなぜ迷走するか

【『月刊現代』2001年1月号】

亡国視された法案

 

 “加藤紘一元幹事長の反乱”で揺れた永田町――。その闘争の陰で、「国家の根本」をめぐるもう一つの戦いが進行していた。永住外国人への地方参政権付与に反対する超党派の議員連盟が2000年11月14日に発足したのである。

 

 「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する超党派の国会議員の会」という名称のこの議員連盟は自民、民主の各政党や、二十一世紀クラブ、無所属の会で所属する保守系議員らが結成したもので、設立総会には代理も含めると81人が参加した。翌日の15日から外国人参政権問題についての法案の審議入り(趣旨説明)が予定されており、議連としては反対の気勢をあげる目的でこの日の設立総会を開いたのである。

 

 外国人参政権に関する法案は、実は2年以上も前の98年10月に、当時はまだ野党だった公明党(当時・新党平和)と民主党が共同で議員提出していた。しかし、本格的な集中審議が行われないまま廃案になり、国会が開かれるたびにまた提出されるという事態が繰り返されてきた。その間、審議らしい審議が行われたのは2000年5月の一度だけ。だが、この11月には半年ぶりに本格的な審議が再開されることになり、可決・成立への機運がようやく高まってきた。そこに「待った」をかけるべく、超党派議連が反対の狼煙を上げたわけだ。

 

 「三党合意のもとに、一瀉千里に(法案成立を)進めようという勢力がある。これでは、国の根幹がなくなり、国家としての体が失われてしまう」

 

 議連会長に就任した村上誠一郎代議士(自民党)は設立総会で声を荒げた。議連事務局長に就任した平沢勝栄代議士(自民党)も、筆者の取材に次のように語っている。

 

 「韓国の金大中大統領が法案成立を求めているからとか、日本の戦後処理の一環として立法化すべきだとか、法案実現の理由はいろいろ言われていますが、これは国の根幹にかかわる重大問題なんです。まともな国民的議論もないまま法案が通っちゃうと、大変なことになる」

 

 保守系議員が反発する外国人参政権問題とは、いったいどのようなものなのか。本当に国の根幹がなくなるような問題なのだろうか。そこには、いたずらに外国人を危険視する考えがあるのではないだろうか。戦前の国家主義のしっぽを引きずったアナクロニズムのように思えるのは、筆者だけだろうか。反対派の動きと彼らの論理を検証しながら、法案の意義を考えてみたい。

 

意見は真っ二つ

 

 永住外国人への地方参政権付与問題とは、日本にいる外国人のうち永住権を持つ63万人の外国人に限って地方参政権を付与するというもの(被選挙権は除く)。地域に根ざした「住民」として、国籍にかかわりなく地域行政に影響をもっていてもいいという判断が、根本の考え方である。欧州では、一定期間在住する外国人に地方参政権を付与する制度が、すでに10年から20年の歴史を刻んでいる。

 

 一方、永住外国人のおよそ8割を占めるのが、歴史的な経緯でいまも日本に在住する在日コリアン(特別永住者52万人)である。戦後半世紀以上がすぎた現在では、日本で生まれ、日本で育った人たちが大半であるにもかかわらず、外国籍であるという理由から、彼らには参政権が認められていない。

 

 外国人への参政権付与運動そのものは、70年代に始まっている。運動の主体となってきたのは、当然のことながら在日本大韓民国民団(民団)などの在日コリアンたちだ。保守系議員たちの厚い壁に阻まれ、運動は遅々とした歩みを余儀なくされてきたが、95年2月、大きな転換点となる判決が最高裁によって下された。この判決の判断については、いまも賛成派、反対派の議論の分かれるところなのだが、概要こう書かれている。

 

 「憲法は外国人への選挙権付与を保障してはいない(=本論)ものの、立法措置をもって永住者等に地方選挙権を付与することは禁止してはいない(=傍論)」

 

 反対派は「傍論部分には判例としての拘束力はない」と主張しており、逆に賛成派は「法律で定めることを憲法は禁止していない」という部分をもって、法案推進の理由としている。

 

 ともあれ、最高裁判決をきっかけとして、国会議員の中にも、ようやく立法化を図ろうとする動きが出てきた。もともとは「定住外国人」を想定して始まったものであり、もっと幅広い外国籍住民を対象にしたものであったが、立法化の過程でその対象は「永住外国人」に狭められた。一言で言えば、日本社会にはまだ、すべての定住外国人に参政権を認める素地ができていないという判断に基づくものだ。

 

石原都知事も大反対

 

 ところが、永住外国人に限って地方参政権を付与するという形に落ち着いたあとも、法案審議は一向に進まなかった。冒頭にも触れたように、法案提出からほぼ2年の間、事実上、棚ざらしにされてきたのである。

 

 事態が動き始めたのは、2000年6月の総選挙後だ。前年の99年10月、公明党が自民、自由の連立政権に参加したことによって法案の実現が3党合意の中に盛り込まれ、公明党は与党の立場を活用して自民党に法案成立を強く求めるという構図が続いていた。また、総選挙の結果、自民党が単独過半数をとれなかったことなどから、与党内における公明党の影響力が強まったこともあり、自民党の野中広務幹事長が法案成立に向けて積極的に動き出したのである。

 

 臨時国会での成立も可能な雰囲気が漂い始めたことを受けて、自民党内のタカ派議員たちの動きも活発化した。臨時国会の召集日(9月21日)に合わせて、慎重派議員が冒頭の「外国人参政権の慎重な取扱いを要求する国会議員の会」(奥野誠亮会長)を結成(以下は反対議連)。法案成立を進めようとする野中幹事長ら自民党執行部と、自民党内で真っ向から対立することになったのである。

 

 反対議連の中心メンバーは、会長の奥野代議士をはじめ、村上誠一郎、米田建三、高市早苗などの中堅代議士。陰の立役者となったのが、前出の平沢代議士である。平沢氏は、超党派議連事務局長就任に先だって、自民党の反対議連の事務局長にも就任している。わずか2回の当選回数ながら、警察官僚として培った経験と人脈で政治力を増してきた。平沢氏が言う。

 

 「小選挙区制になって以来、幹事長の経験が格段に大きくなって、党内には野中さんの言うことに反対しにくい空気が蔓延している。しかし、賛成派が並べ立てる、人権、友好、親善、開かれた21世紀などの美辞麗句は、一言で言えば“女子学生の感情論”ですよ。拙速は避けるべきだし、できれば廃案に追い込みたいと思っています」

 

 自民党の反対議連はその後、数回にわたる勉強会を開催。そして11月半ば、法案審議に入る段階になって急遽、他党にも呼びかけ、超党派の議連を設立するに至ったのである。

 

 ちなみに国民的人気の高い石原慎太郎東京都知事も強硬な反対論者だ。朝日新聞が11月12日付で発表した全国知事アンケートでも、石原氏は全国47都道府県知事の中でただ一人、選挙権付与反対の立場を鮮明にしている。

 

 それにしても、臨時国会が始まってからの反対派の活動は活発だった。メディアも「産経新聞」「正論」「諸君!」「週刊新潮」など、いわゆる保守系とされるメディアが一斉に反対の狼煙を上げた。

 

 そうした中、反対議連のキーパーソンであった平沢氏が法案推進派との“公開対決”の場に姿を現したのは、10月18日、東京大学の学生らが企画した公開討論会の場だった。

 

 場所は東大駒場キャンパス――。定刻になるころにはすでに400席の椅子がほぼ埋まり、立ち見も出るほど。会場となった大教室は、開始前から異様な熱気に包まれていた。

 

 「永住外国人の地方参政権をめぐって激突~賛成派vs.反対派~」と題されたこの催しは、賛成、反対双方から、2人ずつの論客が参加し、議論を戦わせるという趣向である。

 

 反対派からは、平沢氏と都立大教授の鄭大均氏が参加。賛成派側には、法案提出者の公明党幹事長・冬柴鉄三代議士と桃山学院大学大学院教授の徐龍達氏が席を並べた。

 

 冬柴氏は、公明党におけるこの問題の中心人物であり、弁護士でもある。新進党時代から同法案に関するプロジェクトチームの事務局長を務めてきた。700人余の国会議員の中でも、この法案の成立に向け、最も積極的に行動してきた国会議員の一人であることは間違いない。

 

祖国が二つあるということ

 

 冒頭、各パネリストが5分ずつ意見を述べたが、その際に冬柴氏が、これまで日韓議員連盟に所属し、在日韓国人の法的地位向上委員会の責任者も務めてきたことを述べた直後、平沢氏がこんな反論をした。

 

 「冬柴さんが韓国の問題と言ったが、これは韓国だけの問題ではない。北朝鮮(朝鮮民主主義、ここでは在日本朝鮮人総聯合会の意味)は反対と言っている。もう一つ言わせてもらうと、地方(選挙権)だからいいんじゃないか、という意見も多いですが、地方行政といっても、安全保障、教育、警察といった分野は国政と不可分。切り離すことはできません」

 

 反対派の論拠は、大雑把にいくつかに分けられた。平沢氏が指摘した地方行政と国政との不可分性はもっともよく指摘されることでもある。具体的には、有事などの際への懸念だ。

 

 「もし有事のとき、国益が衝突した場合、両方の国に忠誠を誓うことができるのでしょうか」

 

 平沢氏はその後、在日韓国人が兵役の義務を負っていること(実際は免除)、朝鮮総聯の幹部の中には北朝鮮の国会議員を兼務している人物が存在すること、日米ガイドライン関連法が発動され自治体協力を求められた際、永住外国人がどちら側に立つのかなど、法案へ反対する理由をいくつか列挙した。いずれも「日本の根幹にかかわる」と反対派議員たちが指摘する問題である。その上でこう主張した。

 

 「アメリカにも韓国人はたくさんいるけど、選挙権よこせなんて一言も言ってない。この問題が起こっているのは日本だけなんです。戦後処理の一環として行なうというのは間違いです。日本は将来、多民族国家になる。そういう将来の問題から考えるべきです」

 

 そして、「選挙権が必要ならあくまで帰化すべきだ」と、この問題で一般的にも必ず出される意見を述べた。

 

 平沢氏の主張は仮に何も知らない人が聞けばもっともに聞こえる部分があるかもしれない。だが、推進側の論拠は、平沢氏の主張とはまた別のところにある。冬柴氏が反論を加えた。

 

 「反対する人たちは、外国人が将来日本に対して害を与えるという見方しかしてない。私はそういう立場をとらない。私は戦後処理の一環と言ったことはこれまで一度もありません」

 

同化政策の影

 

 この法案が一般の理解を難しくしているのは、法案に2つの意味が込められているからだろう。

 

 一つは、戦前の植民地政策から派生する在日コリアンなどの法的制度の問題だ。すでに戦後半世紀以上たって、4世、5世が出現する時代になり、日本で生まれ、日本で育つ世代が大多数になっている。彼らは日本人と同じように税金を支払っているが、税金の使途をチェックする権利がない。もちろん、外国人に国政選挙権を付与することは認めていない。だが、地方選挙権については、裁判所も学説も共に認めているのである。

 

 そうした歴史的経緯をもつ人々に、地方選挙権をもってもらうことに賛成する考えは、マスコミの各種世論調査などでもすでに半数を超えている。

 

 法案のもう一つの意義は、そうした歴史上の問題とはかかわりなく、日本に10年以上在住し、日本社会に今後かかわっていこうとする永住者(=一般永住者11万人)にも、国籍にかかわりなく地方選挙権を付与しようというものである。彼らは帰化する一歩手前の人々であり、日本社会にも関心をもってもらうべき人々であろう。

 

 もちろん、日本国籍を取得するかどうかは、あくまで本人の自由意志だ。だが、そうした人々に対して「選挙権がほしければ日本人になれ」という姿勢をとるのは、あまりにも傲慢で常識を欠いている。

 

 この法案は、こうした過去の問題と、未来性の両方の側面を併せ持つため、一般の人々には法案の意義を正確に理解することが難しいものになっている。反対派の論拠がいかにも心地よく響くのは、そうした背景もある。

 

 反対派はこれまで、「アメリカでも採用していない制度をなぜ日本で行うのか」「ヨーロッパは相互主義で行っているにすぎない。紛争の種を残しているアジアでそのような制度をつくる必要はない」などともっともらしい主張を声高に繰り返してきた。そうした点を踏まえ、徐教授が反論した。徐教授は、定住外国人の地方参政権を求める運動を日本でもっとも早くから行ってきた人物で、58年間にわたって日本に在住する韓国・釜山出身の在日一世だ。

 

 「(反対意見は)戦前の国粋主義的な考え方と言わざるをえません。我々にとって日本国籍を取るということは、アメリカの市民権を取るのとはまったく意味が違います。日本ではいまも同化政策の下にあるが、アメリカでは生まれた時点で米国籍が取れるんです」

 

 徐教授の発言を少々補足しておこう。日本はサミット参加の西側先進国の中で唯一、いまだに“血統主義”をとっている国である。世界のどこにいようと、日本人から生まれた子どもは日本人とする制度であり、日本で生まれたら日本国籍を得られるという“生地主義”にはなっていない。同時に、日本は二重国籍も認めていない。現在の日本で日本国籍を取得するということは、元々持っていた国籍を捨て去ることを意味する。こうした制度は、在日の人たちには“ 同化政策”と映る。

 

 米国のように仮に二重国籍を認める国であれば、このような問題はあまり起こらないかもしれない。在日コリアンが韓国籍、朝鮮籍をもったまま、日本国籍も取れるようになれば、彼らは喜んで日本国籍を取得するに違いないからだ。そうなれば選挙も日本人と同じように行える。だが、二重国籍の議論が日本で具体化するのは5年先か10年先とも見られている。外国人地方参政権は、その前のステップともなるべき政策と位置づけられる。

 

 そうした思いが手伝ってか、在日二世でもある鄭教授の主張は反対派の側に立ちながらも、平沢氏などとはかなり異なっている。

 

 「われわれのような二世以降の在日にはもはや外国人という意識はありません。それでも国籍は外国籍。このような帰属とアイデンティティのズレを解消することのほうが重要です。そのためには、国籍選択権を認めるしかない。いまや在日が本当に望んでいるのは日本国籍だと思います。ですから外国籍のままこの地方参政権を認めることは、このズレを永続化させることになりますから、私は反対です」

 

根強い外国人への警戒心

 

 前述の徐教授は、この法案が憲法違反と指摘されている点について、解釈の上で違反にはならないことを詳しく説明した。

 

 先にも触れたが、この法案で問題とされていることのひとつに、憲法問題がある。具体的には、憲法第15条第1項の、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」との規定だ。この中の「国民固有」という文言の解釈をめぐって学説上、意見の対立があるのだ。だが、この部分の英訳では「不可譲・不可奪の権利」とされており、天皇主権であった明治憲法の反省を踏まえて、「日本国民から奪ってはならない」と解釈するのが常識となっている。決して「日本人だけの権利」と解釈するものでないという考え方だ。

 

 また、地方と国政は分けられないという考え方も、地方分権の仕分けをはっきり進めていけば問題は消えていくはずである。

 

 突き詰めていけば、反対派の主張、特に保守系議員たちの主張の根本にあるのは、外国人は日本人に危害を加えかねないグループだという強い懸念である。しかも、そうした懸念は日本国籍を取得することで解消すると短絡的に考えている節が見受けられる。

 

 こうした主張をする人たちにとっての「国籍」とは、国家への“忠誠”を示すものであり、国家の“運命共同体”としての証でもある。

 

 また、将来起こりうる懸念を事前に想定し、摘み取っておくことこそが危機管理の要諦だと、反対派は主張するかもしれない。

 

 だが、心配事を並べれば並べるほど、何もできなくなり、進歩が阻まれる。むしろ、「国家というハードルを少し下げて、そこに住む住民をいかに幸せにするか、そういう国家を志向すればいい」(冬柴氏の発言)という主張のほうが今日的であり、未来志向に根ざした考え方と言えるのではないか。

 

 超党派議連が反対の狼煙を上げた2日後の11月16日、衆院政治倫理・公職選挙法改正特別委員会で、外国人地方参政権の実質審議がスタートした。提案者の一人である松浪健四郎代議士(保守党)が、法案の意義について次のように説明した。

 

 「今回提出した法案は“政治的な黒船”であると思っています。黒船がやってきた。さあ、どうするか。我々は心の鎖国を解くのか、それとも鎖国を守り抜くのか。民主主義の円熟度が問われており、この法案がそのリトマス試験紙になると考えています」

 

 その黒船に地方議会も揺れている。自治省の統計によれば、2000年8月末時点で、外国人への地方参政権付与を求める意見書を採択した都道府県議会は32(約7割)に上る。だが、96年7月、鹿児島県議会は、全国で唯一、定住外国人の地方参政権の成立を求める意見書を不採択にした。

鹿児島県議会での議論とはどのようなものだったか。当時の議事録には次のような発言がある(発言を一部補足)。

 

 「国家として、よその国の人が参政できるなどというのは憲法上予測されていないんです。全面的に否定されるべきなんです。破憲行為ですよ」(浜田茂久氏)

 

 「わが鹿児島県には、三島村のように391人の有権者しかないところがある。私の出身地の住用村も1403名しか有権者がいない。最悪の事態ですよ、過半数を超える住民がここに住みついたとしたら。我々は定住外国人に牛耳られちゃうわけでしょう」(永田健二氏)

 

 当時の鹿児島県議会は、浜田氏らの主張に流される形で不採択へと動いた。

 

 浜田氏は北朝鮮に拉致された日本人を救出する鹿児島県民の会の会長も務める人物。もう一人の永田氏は14歳の時に満州の新京(現在の長春)で終戦を迎え、逃げ遅れた一家が中国共産党軍に包囲された挙げ句、2人の叔母が自分の目の前で自決するというつらい体験をしていた。永田氏が言う。

 

 「民族の憎しみで殺されたようなものです。民族が違うと、感情がエスカレートしたとき何をするかわからない」

 

 体験に根ざしているだけにその思いは一層強いのだろうが、外国人は日本に危害を与えかねない人々だとする反対派を代表するような意見ではある。

 

国籍を越えて

 

 浜田氏、永田氏の2人は99年4月の県議会で落選。いまは浪人中の身だ。この2人がいなくなったからかどうか定かではないが、鹿児島県議会は2000年3月、地方参政権付与を求める意見書を4年越しで採択した。

 

 一方、10月17日には香川県議会が都道府県議会として初めて、法案に反対する意見書を可決。この問題をめぐる反発の根強さを示す結果となった。

 

 だが、反対派の意見は時代の流れのなかで徐々にその論拠を失いつつあるように見える。そもそも、国民国家という考え方自体、人類においては200~300年の歴史にすぎない。そうであるならば、国籍はこれからの時代も人々をきつくしばるものでありつづけなければならないのだろうか。

 

 反対論者の急先鋒である米田建三代議士(自民党)は、11月17日に行われた国会審議の質問でこう述べている。

 

「この法案が成立すれば、極めて革命的な法律になるだろう」

 

 同氏がどのような意図でそう述べたかは定かではないが、そのこと自体は事実であろう。これまで時の総理から「単一民族発言」がなされ、国民意識としても外国人に対する排斥感情の強い日本社会にとって、この法案の実現は「共生」の発想をもつきっかけとなるはずだ。その意味で、まさしく現代日本の「黒船」にほかならない。時代は「開国」に向かっている。