【『サンデー毎日』2002年1月27日号】
新たな日中摩擦~親族扶養問題~
日本国籍を取得する中国人の数が急増している。華僑の歴史が示すとおり、彼らは在日コリアンとは違って日本に帰化することへの躊躇(ちゅうちょ)は少ない。だが、法律が想定していなかった親の扶養問題など、新たな摩擦も出始めた。
林信男さん(仮名、40歳)はいまをときめく中国出身のIT(情報技術)技術者だ。
1991年に留学生として日本の地を踏み、以来11年間、日本に住み続けている。東京の大手ソフトウェア会社に勤務し、安定した収入を得ている。幼なじみの妻と子供2人の四人暮らし。98年に家族全員で日本国籍を取得し、2年前には東京郊外に4LDKの自宅を購入した。
上海出身の四人兄弟で、兄と姉も日本に暮らす。兄夫婦は、林さんより二年遅れて「日本人」になった。林さんが日本国籍を取得した理由は、やはり子どもの将来を考えてのことだという。外国籍のままでは就職のときに公務員になれないなど制約が生じる。ビジネスだけを目的とするなら、中国籍を保ったまま日本の永住権を取得するのが便利だが、日本に定住しようという決心もあって帰化した。
中国は二重国籍を認めていないため中国籍は失った。法律上、正真正銘の日本人だ。国政選挙権もある。中国と日本の両方で通用する「林」という姓に変更した。
問題が生じたのは2001年に入ってからだ。親孝行の意味で70歳を超える上海在住の両親を日本に旅行させる計画をたてた。そんな矢先、父親が上海で急逝した。その後母親はショックで寝込むようになり、昨年四月、日本に呼び寄せた。ビザはいわゆる短期滞在の観光ビザ(90日)だ。
母親は日本に来て、持病の心臓病を再発。幻覚をみるようになった。医療機関にみせると、強度のうつ状態にあるので、加療が必要という。ビザを一回更新したあと、林さんはより安定した在留資格である「定住」ビザの申請を東京入管で行った。
定住ビザなら、一年あるいは三年間の滞在が認められる。夫の墓参りのため、中国に一時帰国することも可能だ。短期ビザのままでは、いったん帰国すると、次に来日するまで手続きに半年近くかかることもある。医師の診断では、母親は一人にできる状態にはなかった。最悪の場合、自殺する恐れを指摘されていた。家族のだれかが常に付き添っていなければならない。
短期滞在から定住ビザへの変更申請は、昨年8月15日、「不許可」で返ってきた。林さんが東京入管に出頭すると、係官から診断書が足りないと指摘され、診断書を添付して、再度申請しなおすと、11月15日、二度目の「不許可」の決定が出た。
不許可の理由について、東京入管の担当審査官は、「もともと定住ビザには、外国人である親の要件は入っていません。特別な事情が認められる場合だけ、法務大臣が裁量で認めることもありますが今回は認められなかったということです」と淡々と述べた。
一方、林さんは、こんなことなら日本政府はなぜ国籍取得を認めたのか、と食ってかかった。中国では親の面倒を見るのは息子の役割との社会通念が残っているという。だが、法律的には「定住」ビザに配偶者や子どもは含まれても、親は含まれない。「日本の法律が想定していなかったことです。今後こういう問題が増えるはずです」と訴える。
在日中国人の日本国籍取得者数は2000年は5245人と、94年に比べ倍増した。永住権取得者数も1万593人と前年比でほぼ倍増している。バブル経済時代の80年代後半から始まった日本への留学熱をきっかけに、卒業後そのまま日本で就職し定住化する傾向があることに加え、近年は日本人と結婚する中国人が急増しているのだ。
この問題を所管するのは、法務省入国管理局の入国在留課だ。上田中庸美(かみたなか・つねみ)補佐官は、「(日本の入管法は)親の在留資格はおっしゃるとおり想定していない」と認めた。そのうえで、例外として、「出身国に身寄りがいない場合や親が病気の場合など、人道的なケースについては、特別に認めている」と強調した。
それでは、林さんのケースはどうなのか。母親は日本でずっと通院しているにもかかわらず、今回、定住ビザは出なかった。
「個別の案件については答えられません」(同補佐官)との回答だが、取材した中には、親が病気でなくても、三年の定住ビザが認められているケースもある。2年前に帰化した日本語学校勤務の女性で、親の身寄りがないという理由だけで許可されている。
さらに、政治判断により82年以降、1万人の枠内で受け入れてきたインドシナ難民が日本国籍を取得する場合は、その親は外国籍のままでも無条件に「定住」ビザを取得できる(90年法務省告示132号)。この「差」はいったいどこから生じるのか。はなはだ不透明だ。
現在、年間5000人以上の中国人が日本国籍を取得している。帰化した場合、母国に兄弟がいなければ、親は自分で面倒を見るしかない。だが、日本の入管法では、単に日本国籍取得者の親だからという理由では安定した資格が得られないのが現実だ。
しかし、米国では、市民権(国籍)を取得すれば、安定したビザで親も呼び寄せることができる。家族が共に生活することを、権利として認めているからだ。
「入管の方法は、老人は捨てろということです。日本は姥(うば)捨て国ですよ」林さんの言葉は辛辣だ。
中国出身の夫と国際結婚して20年以上になるという日本人女性のAさんはこう指摘する。
「帰化だけでなく、永住者にも生じる問題です。今の20代は一人っ子政策時代に生まれていますから、親の面倒を見る子どもはほかにいません。日本もこの種の問題を深刻に考えないと将来の日中関係にも響いてきます」
林さんのケースは、一つは縦割り行政の弊害とも言える。日本国籍を取得するための行政は法務省民事局で行われるのに対し、外国人である親の呼び寄せは同じ法務省でも、入国管理局という全く別のセクションが所管するからだ。そのため体系だった総合政策に結びつきにきくい面がある。
「帰化を認めるからには、一人の人間として家族と暮らすことを国家が保障すべきではないか。その覚悟なしに受け入れるのなら、将来に禍根を残すことになりかねない」
外国人支援団体・東京エイリアンアイズ(http://www.annie.ne.jp/~ishn)の高野文生代表の言葉である。