慰安婦問題 議論の真相を探る。

慰安婦をめぐる議論が過熱している。
日本とアジアの平和のために、私たちは過去をどう見るべきなのか。

 

【『月刊潮』2015年3月号】

「朝日新聞」の誤報とメディア報道

 

 2014年8月、「朝日新聞」は過去の慰安婦問題をめぐる一連の報道の一部誤報を認め、16本の記事を取り消した(その後2本を追加)。一部の言論人からは「『朝日』は廃刊すべき」との声が公然とあがるなど、かつてないほどの“激震”に見舞われた。

 

 12月22日、外部識者に依頼していた第三者委員会が検証結果を発表し、新任の渡辺雅隆社長は自ら改革案を公表した。年をまたいだ年頭の1月5日に行われた会見では、渡辺社長は「私が説明するのはとりあえずこれまで」と語り、一連の幕引きを表明した。

 

 朝日新聞が32年前に先鞭をつけたとされる吉田清治氏の証言は、韓国・済州島で地元女性らを慰安婦にする目的で無理やりトラックに乗せて拉致連行したとの内容だった。その核心部分が信頼できる資料として使えないことは、学説的には早い時期から定着していたが、当の「朝日新聞」は誤報を認めないまま、これまで来た。

 

 振り返ると、慰安婦問題が脚光を浴び始めるのは1992年。「朝日新聞」が被害者の立場で最も熱心に報道してきたことは事実だが、右派世論の高まりの中で誤報を認めたことで、「反日」「売国奴」「日本を貶めた」などの露骨な非難中傷が一部メディアにあふれ、冷静な議論を行いにくい雰囲気が醸し出された。

 

 「朝日」を攻撃する主張には、事実を弁えないものも多かった。93年8月、当時の宮沢政府が慰安婦問題への認識と率直な謝罪を表明した河野洋平官房長官談話についても、「廃棄すべきだ」「見直すべき」との声が公然と語られるようになった。

 

 戦後50年の節目に表明された村山富市首相談話とともに、河野官房長官談話はすでに国際社会に定着し、周辺諸国からも一定の評価を受けているものだ。その談話について、「全く歴史の根拠のないもの」(次世代の党・山田宏幹事長[当時]=2014年末の総選挙で落選するも、16年参院選で自民党から当選)などと、一方的にレッテル貼りするかのような言説が公然と横行するようになり、それらは右派メディアによって拡散された。だが、検証した限り、河野談話の文面に虚偽の事実は一行たりとも含まれていない。まして、「歴史の根拠のないもの」などでは、決してなかった。

 

「河野談話」の意義とは

 

 旧日本軍に特有とされる慰安婦制度とは一体どのようなものだったのだろうか。歴史的には1937年に日中戦争に突入した日本軍が、兵士の現地女性への強姦(違法行為)に手を焼き、それらを防止する目的で同年末から本格化させたものとされる。さらに性病予防の目的もあった。

 

 日本軍兵士の性処理施設となる慰安所は、中国全土をはじめ、東南アジア、太平洋諸島など、日本軍占領地の全域に及んだ。慰安婦の女性は、日本はもちろん、旧植民地の朝鮮半島・台湾をはじめ、アジア全域から動員された。

 

 募集方法も日本や朝鮮半島では業者を介したリクルート・システムを中心に、一方の占領地では村長など現地の有力者に女性を出させたり、前線の兵士がめぼしい女性を直接拉致・連行する方式が取られるなど、場所や時期によっても千差万別だった。一口に慰安婦といっても、その境遇や人権侵害のありようは多種多様で一概に論じられるものではない。

 

 慰安婦の総数は「2万人前後」(秦郁彦氏・現代史家)から、「最低でも5万人以上」(吉見義明・中央大教授)など、学説により幅が見られる。それでも日本の戦争遂行のため、万単位の女性たちが動員されたことに変わりはない。戦後70年がすぎ、そのほとんどはすでに没し、今はわずかな被害者が生き残るだけだ。

 

 この問題が日韓関係を主軸として浮上したきっかけは、91年に韓国人元慰安婦が実名で名乗り出て、初めて裁判に訴えたことによる。背景には長年にわたり軍事独裁政権下にあった韓国が民主化を遂げ、女性団体による人権運動が活発化したことが大きい。その意味では多数の被害者が存在したものの、一党独裁の政治体制が続いたために問題があまり顕在化しなかった中国とは対照的だった。

 

 日韓の主要課題となったこともあり、90年代初頭の日本政府は各省庁に史料収集を命じるなど、真相解明のための実態調査に乗り出した。そうして集まった公文書や証言をもとに作成されたのが、93年8月の河野官房長官談話である。

 

 わずか900字程度の談話には、慰安所が当時の軍当局の要請によって設置されたこと、その募集は主に業者が当たったものの「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多く」あったこと、また「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」ことなどが記述されている。

 

 さらに次の段落では、朝鮮半島出身者についても同様に「総じて本人たちの意思に反して」募集、移送、管理などが行われたことを説明し、この問題が「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であることを認め、お詫びと反省の気持ちを示している。最後に「これを歴史の教訓として直視し」、歴史教育を通じて同じ過ちを繰り返さない決意を表明し、締め括っている。

 

 いま読み返しても、高邁な、未来志向の談話に映るが、否定派の人々は、「河野談話こそ日本を貶めた元凶」として、排外主義的な攻撃を繰り返してきた。

 

 反対論の主な根拠は、軍などの官憲が組織的に行った強制連行は存在せず、韓国に謝罪するためにあえて行った宣言にすぎないというものだ。

 

 93年時点に判明していたごく限られた資料を元に作成された河野談話だが、記述された内容はあくまで客観的な事実であり、後述するように、非難されるいわれなど決してないものである。

 

新資料が無視されている

 

 河野談話で否定派が最大の問題として指摘するのは、「官憲等が直接これに加担した」の部分だ。その結果、慰安婦狩りのような強制連行があったと韓国側に誤解させ、日本の国益を失わせてきたと主張する。だが、この部分はあくまで慰安婦全体について語ったもので、朝鮮半島出身者に関して述べた部分ではそもそもない。そのことは文章の流れを確認すれば明らかだ。

 

 談話が出された93年当時、すでにインドネシアのスマランで、日本軍人らがオランダ人女性らを「連行」「売春を強要」した事件が明らかになっていた。談話の文面はこうした事件を指していると思われる。

 

 さらに談話「以後」の約20年間で、慰安婦が強制的に連行された事例は、その後も次々と明らかにされてきた。中国、インドネシア、フィリピンなど主に日本軍の占領地が中心だが、こうした研究を地道に続ける関東学院大学の林博史教授が語る。

 

 「研究者はだれも吉田清治氏の証言など使っていないのに、今回20数年間の研究の蓄積が存在しないかのように多くのメディアが報道したのは非常に残念でした。例えば93年に中国の被害実態はまだほとんど明らかになっていませんでした。慰安婦に関する研究成果はむしろ河野談話『以降』に発掘されたものと言ってもいいくらいです」

 

 林教授はアメリカやイギリスなどの海外の公文書館のほか、日本の法務省史料が移管された国立公文書館などに足を運び、さまざまな関連史料を発掘してきたことで知られる。

 

 近年も、インドネシアから300人近い現地女性をバリ島に連れ込んで慰安婦にした元海軍曹長が、約70万円の軍資金を隠蔽工作として活用し、戦後の戦犯追及から逃れることができたと自ら証言した記録を法務省資料の束から発見している。当時の70万円は今の貨幣価値に換算すると数千万円にのぼると見られるが、こうした実態が次々と明らかになっているにもかかわらず、日本政府は今も事実を認めようとしない。

 

 例えば第1次安倍政権下の2007年3月、首相は野党議員の質問主意書への答弁書の中で、「(※河野談話の)調査結果の発表までに政府が発表した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」などと記載し、わざわざ閣議決定まで行った。

 

 要するに、河野談話以後にも多くの資料が発掘され、新事実が次々と明らかになっているにもかかわらず、政府の態度は1993年時点で止まってしまったままなのだ。政府あげての資料収集はそれ以降は行われておらず、慰安婦をめぐる真相究明作業は、民間の一部研究者の手に委ねられたまま、細々と続けられてきたのが実態である。

 

 中央大学の吉見義明教授も、「多数にのぼる兵士の回顧録をはじめ、河野談話を補強する資料はその後たくさん出ている」と証言する。

 

 政府が木で鼻をくくったような答弁姿勢を続けるのは、日本軍の罪を過小評価したいとの意図が働いているからとしか思えない。事実を認めると都合が悪いのか、政府の態度が、およそ実証的な態度といえないのは明らかだろう。

 

半ば常態化していた拉致・連行

 

 これまで日本国内で多くの元慰安婦による裁判が行われてきた。韓国人、フィリピン人、オランダ人、中国人、台湾人など件数だけでも10件にのぼり、その多くで詳細な事実認定がなされている。

 

 例えば中国山西省の性暴力被害者らが起こした裁判では、東京高裁の判決で次のように判示され、最高裁で確定している。

 

 「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった」(2004年12月)

 

 日本の司法の最高機関で、日本軍慰安婦の強制連行は何件も事実認定されてきた。

 

 こうした行為が繰り返されてきた背景には、補給路を考えず、現地調達主義(地元民から食糧などを略奪して賄う方針)をとった日本軍の作戦の誤りにあったとされる。

 

 中国における性暴力被害の実態を20年にわたり取材してきた映像ジャーナリストの班忠義氏は語る。

 

 「これまで80人もの中国人被害者に直接インタビューしてきました。山西省を中心に、似たようなケースは広西省、湖南省、雲南省、海南島でも見られます。金銭のやりとりもなく、通常の慰安所というより『強姦所』といったほうがふさわしいものです。曹長や分隊長クラスが自主的に設置したものが多く、女性たちは『性奴隷』そのものでした」

 

 さらに中国人弁護士の康健氏らが中国国内の公文書館の協力を得て行われた調査報告(2007~09年)では、日本軍戦犯74人の供述が明かされている。中には陸軍中将と称する人物が部下に慰安所設置を命じ、100人以上の女性を連行したことを自白するものや、自ら監禁、強姦の犯行を供述したものが数多く見られる(季刊『戦争責任研究』2011年春季号)。

 

 インドネシアでも、オランダ人女性が強制的に連行され、無理やり慰安婦にされた事例はオランダ政府調査報告書(1994年)などで詳しく報告されている。

 

 吉見教授によると、軍や官憲による「略取」(暴行、脅迫など強制的手段を用いて支配下に置くこと)のケースは、インドネシアや中国各地、フィリピンなどで顕著に認められ、「戦地・占領地ではもはや否定できないほどたくさんある」という。フィリピンでも拉致、監禁、強姦の事例は無数に報告されている。

 

 一方で、朝鮮半島からの略取のケースは、個々人の証言としては存在するが、文書資料としてはこれまで確たるものは発見されていない。一つには植民地経営がなされた地域では、強制的に徴発するとむしろ逆効果となり、「甘言」などによって連れ去られることが多かったためと思われる。

 

 いずれにせよ、占領地では物理的な強制力をもって行う拉致・連行が半ば常態化ししていたであろうことは、想像に難くない。

 

 そもそも、慰安婦募集にあたって、奴隷狩りのような強制連行があったかどうかは、実は本質的な問題ではないだろう。むしろ慰安所でどのような扱いを受けたかがより重要であり、入り口がどのようなものであったかは部分的な問題にすぎないと捉えるべきではないだろうか。

 

 この件では、北朝鮮による拉致被害者の例がしばしば引き合いに出される。強制的に拉致されたにせよ、あるいは甘言で騙されて連れて行かれたにせよ、その後、北朝鮮に閉じ込められ、意に反して自由を奪われたことに変わりはないのである。この場合、強制的に連行されたか、甘言によるかの区別など、あまり意味をなさないのと同じことと思えてならない。

 

 ところが、慰安婦問題に限っては、強制連行を認めるには日本軍の公文書が必要といった否定派側の頑なな主張が根強くある。これでは犯罪者自身が「自分で罪を犯しました」と自白する文書を残していなければ、罪と認めないと言っているようなもので、極めて理不尽かつ矮小な態度に映る。

 

 慰安婦問題の教育活動などを行う市民団体「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」(wam)の渡辺美奈事務局長は、「証言は証拠ではないという今の風潮には怒りを覚えます」と語った。林博史教授も、「戦犯裁判や外国政府などの公文書も元はといえば被害者の語った証言を記録したものだ」と説明する。

 

 加害者と被害者がぶつかり合う問題では、被害者の声に真摯に耳を傾ける必要がある。

 

変わらない内閣の姿勢

 

 これらの経緯をふまえれば、日本軍慰安婦は、当時の性産業に従事する女性たちが自らの意思で行った行為とは一概にいえるものではなかったと言える。朝鮮半島出身者は親や業者に騙され、占領地では強制的に駆り出されるケースが多数存在していた。それが紛れもない実態だった。

 

 戦後、運よく生き延びることができた慰安婦も、性的な障害を抱えるなど大きなトラウマを引きずった人が数多い。そうした被害実態を知ってか知らずか、「慰安婦は商売目的の売春婦」などの主張が出てくるのは、セカンド・レイプそのものと言えよう。

 

 終戦から70年の節を刻む本年、安倍首相は新たな首相談話を出す予定だ。「朝鮮半島で慰安婦を強制連行したことを証明する資料はなかった」「侵略の定義は定まっていない」(いずれも首相発言)など、安倍首相の公言しており、首相側近からも「新たな談話を出すことによって結果として(河野談話は)骨抜きになる」(2014年10月)といった発言が出ている。だが米国政府から圧力がかかると一転、「安倍内閣で見直すことは考えていない」(首相)と修正するなど、豹変ぶりが際立っている。

 

 河野談話を見直さず継承するというのであれば、河野談話を否定する言動には政府として一つひとつ明確な反論をすべきだろうが、現時点でそのような行動はとられていない。

 

 河野談話の末尾で示された歴史教育を通して継承していくとの当時の日本政府の“誓い”も、その後、中学歴史教科書の記述から慰安婦の文字がすべて消えてしまうなど、正反対の方向に進んでいる。

 

 日韓国交正常化から50年。「安倍内閣の姿勢が変わらない限り、解決はありえない」(吉見教授)との言葉が重く響く。