懸念される教育改革のゆくえ。

教育は国家100年の計といわれる重要な国家政策である。安倍政権の教育改革の問題点を探る。

 

「教育再生国会」の位置づけ

 

 第2次安倍内閣が発足して1年2カ月。安倍晋三首相が憲法改正をめざしている事実は国民の多くに認識される一方で、それと同じくらいのこだわりで安倍内閣が教育改革の準備を進めてきた事実はあまり知られていない。実際、この通常国会を「教育再生国会」と位置づけ、多くの改革を断行しようとしている。だがはたしてその方向性は、日本の将来にとってプラスになるのだろうか。また、国際的な流れに合致したものといえるのだろうか。

 

 2012年9月、自民党総裁に返り咲いた安倍氏は一ヵ月後、総裁の直属組織として自民党内に教育再生実行本部を発足させた。第1次安倍内閣の教訓をもとに、再び教育改革を進め始めた。

 

 実行本部の責任者は下村博文現文科相(現在は遠藤利明本部長)で、いじめや教育委員会制度改革の政策などを話し合う5つの分科会を設定した。

 

 さらに年末の総選挙で自民党が政権を奪い返し再び首相に就任すると、年を越してすぐに有識者15人からなる「教育再生実行会議」を官邸内に発足させ、文科相に指名した下村氏に教育再生担当大臣を兼務させるなど、速やかに改革を押し進めるための体制づくりを整えた。

 

 総理官邸で月1回ほどのペースで行われてきた会議はすでに16回開催され、道徳の教科化や教育委員会制度の見直しなど、1年余りの期間に4本もの提言を発表している。首相自身も毎回のように会議に出席する熱の入れようである(議事録は首相官邸のホームページで公開中)。

 

 この通常国会で最初に話題にのぼるようになったのが、教育委員会制度の見直し問題だった。戦前戦中の教育への国家統制政策の反省から、戦後は公選制による教育委員会制度を採用。1956年から現在のように首長が原則5人の教育委員を任命し、その互選のもとに教育委員長(非常勤)、教育長(常勤)が選出される仕組みが出来上がってからすでに半世紀を超える。

 

 教育委員は教育長を除き全員が非常勤のため、教育委員会制度そのものの形骸化がこれまで指摘されてきた。安倍内閣は大津市のいじめ自殺問題をきっかけに、制度改革の動きを強めてきた。文科相の諮問機関である中央教育審議会は昨年12月、首長に教育委員会の権限を移す案などを答申したが、公明党だけでなく、自民党の一部からも政治的中立性を保てないとの批判的な意見が噴出した。

 

 そのため教育委員長と教育長を統合化した上で、常勤の「新教育長」(仮称)を新設してその任免権を首長に与え、執行機関は教育委員会に残すとの「折衷案」が浮上した。

 

 それでも「新教育長」の任免権を首長に与えることで、政治的影響力は確実に強まるとの懸念は根強い。今後、教育委員会制度の改革のためには「地方教育行政法」改正をはじめ、多くの法律の修正が必要になる。安倍内閣はほかにも教科書採択の仕組みを変えるための「教科書無償措置法」の改正や、2015年度の実施に向けて道徳の教科化を中教審に諮問するなど、安倍カラーを前面に打ち出す構えを崩していない。

 

 さらに愛国心を重視する改正教育基本法の理念に基づく教育がいまだ不十分などと主張して、教育再生推進法案(仮称)を自民党は議員立法で提出する方針だ。そのため、この通常国会では少なくとも数本の教育関連法案が出ることが想定されている。

 

「世界の流れに逆行している」

 

 これらの一連の改革案に対し、「必要な改革には手をつけず、統制だけを強める方向性は前代未聞といっていいほど世界の流れに逆行している」と話すのは、学習院大学文学部の佐藤学教授だ。

 

 同氏は「学びの共同体」の学校改革の実践研究者で、世界の教育事情に詳しい教育学の専門家として知られる。その佐藤氏は、日本の教育行政が抱える問題は全く別のところにあると強調する。

 

 例えば、日本は先進国の中で子どもの貧困率が非常に高く、欧米などの先進国を中心に構成されるOECD(経済協力開発機構)加盟国34カ国の中でも教育予算のGDP(国内総生産)比は下から数えたほうが早い。

 

 さらに親の教育負担は世界一高く、教師の過労状態はピークに達している。それでいて教師の賃金はカットされる一方で、待遇面は悪化するばかりだ。加えて世界レベルでみれば、教師の学歴はいまや大学院レベルが標準化しているのに対し、日本ではいまだに四年生大学卒業が主流で、修士号取得者の割合は世界水準の足元にも及ばない。教師の教育水準、研修内容、教師の専門性は明らかに世界レベル以下に落ち込んでいる。つまり日本は国際レベルに達するために、すぐにでも対応しなければならない多くの課題を抱えているにもかかわらず、安倍内閣は現状を見直すための方向性を示そうとしないまま、道徳の教科化など、復古主義的な改正ばかりが目立つというわけだ。

 

 「世界の教育は『国民の教育』から『市民の教育』に変わっています。市民性の教育といいますが、これが中心になっている。簡単にいうと公共的モラルの教育、紛争解決のための教育、民主的主権者の教育、多文化共生の教育、ボランティア教育などの『シチズンシップの教育』です。逆に安倍内閣の教育改革は、世界のグローバリゼーションに対応するといいながら、旧来のナショナリズムの強い国民国家の時代に逆戻りさせる方向ばかりで、『市民性』や『民主主義』という言葉すら出てこない内容です」(佐藤教授)

 

 日本の教育改革は世界の潮流とは全く別の方向に進んでいるようだ。

 

国際常識から外れた教科書制度

 

 そのことは、教科書を採択する仕組みにも顕著にあらわれている。教科書制度には、自由発行、認定、検定の3つの制度があり、ほとんどの国が自由発行制度を採用している。日本のように検定制度を採用している国はドイツ、中国、台湾など数少ない。しかも他国の検定制度は、憲法との整合性のチェックや特定の宗教や民族を攻撃していないかなど形式的にチェックすることが多いのに対し、日本の仕組みはいまだに教育内容そのものをチェックする点に特徴がある。「もはやこうしたやり方は社会主義国を除けば皆無」(佐藤教授)というのが実態だ。

 

 市民団体・子どもと教科書全国ネット21の事務局長を務める俵義文さんも、「ほとんどの国で教科書採択は学校や教師が自由に行っている。このことは世界では常識的な事柄」と語る。

 

 日本のように教育委員会という行政機構が地域単位で教科書採択を行い、実際に教材を使って授業を行う教師が意見を反映できない仕組みをとり続ける国は、世界ではいまや日本と中国くらいしかないという。こうした特殊な制度こそ改革すべきというのが心ある教育関係者の一致した意見といえようが、安倍政権は逆に教科書統制を強める方向に進んでいる。

 

 「韓国では以前は国定教科書を使用していましたが、20年ほど前に学校ごとの採択に変わっています。日本でも1997年以降、将来の学校単位の教科書採択制度に向けて法整備を検討するという閣議決定がたびたびなされてきましたが、歴代政府はその実現をほったらかしにしてきました」(俵事務局長)

 

 日本はすでに隣国の韓国より、教科書制度で20年も遅れているのが現状のようだ。

 

 近年、沖縄県の竹富町でわずか20数人分の中学公民の教科書採択をめぐり、騒動が起きてきた。竹富町は西表島を中心に竹富島、小浜島、波照間島などで構成される八重山郡に属する人口4000人余りの町だが、隣接する石垣市、与那国町が新しい歴史教科書をつくる会系の発行する育鵬社版を採択したのに対し、竹富町ではリベラルといわれる東京書籍の教科書を採用したからだ。

 

 これらは各教育委員会に教科書採択権があると定める「地方教育行政法」と、採択地区(この場合、石垣市、竹富町、与那国町で構成する沖縄県八重山地区)では同じ教科書を使うと定める「教科書無償措置法」の矛盾する規定から生じた事態だが、文科省は正反対の法規定を自ら改めてこなかった自己責任はよそに、竹富町が育鵬社の教科書を採択しないことだけを問題視し、不平等な対応を続けてきた。

 

 教科書無償措置法の趣旨に基づけば、竹富町だけでなく、教科書を一本化できない石垣市、与那国町にも指導を行うべきとの意見があるのも事実で、日本の教科書制度の矛盾を示す最近の実例といえよう。

 

「教育の効果は20、30年で現実に」

 

 「日本の教師は70年代までは間違いなく世界で最高の教育水準をもった教師たちでした」と語るのは前出の佐藤教授だ。

 

 戦後、日本は人づくりを重視し、教育支出に予算をまわし、人材育成に力を入れてきたからこそ、戦後の経済繁栄を享受できた。ところがその後は、「何もしないまま25年がすぎたから、いまでは教師の教育水準にしても世界最低のレベルに落ち込んでいます」と警鐘を鳴らす。

 

 「いまの50代の教職員は、教員志願者が多く、教師の給与も世界最高水準だったときに教師になった人たちです。この世代があと10年もすれば大量に去っていく。いまから若い教師の質を上げることを考えないと、向こう50年間は日本の教育は世界から取り残されてしまいかねない」(佐藤氏)

 

 教育の平等性はおろか、教育の質の問題を真剣に考えないと、日本は危機的な状況を迎えると危惧しているのだ。

 

 教科書ネットの俵事務局長は、安倍政権の教育政策について、「エリートをつくるなどの新自由主義的な改革と、国家に奉仕する人材をつくるための新国家主義が一体化した改革」と見る。

 

 俵氏は、教育再生といいながら実態は事実上の「国定教科書」をめざしているのが実態ではないかと指摘した上で、かつての日本が1905年に「国定教科書」を使って思想統一を図る政策を始め、36年で太平洋戦争に至った歴史的事実をあげながら、「教育の効果は20、30年で現実のものとなる」と説明した。

 

 宇都宮大学教育学部の渡邊弘教授も、人間を国家発展のための手段とする「国家主義の教育」の再燃を懸念する一人だ。「国家のための教育から人間のための教育への意識改革がなされているのかどうか疑問」と述べた上で、道徳の教科化で、「戦前の修身科と同じ問題が発生してくる」と懸念を示す。

 

 今回の取材の過程で、日本のいじめは数字上は世界でもそれほど多いとはいえず、安倍内閣の関係者が主張するように日教組(日本教職員組合)が教員人事を左右しているなどという実態は日本のどこにも存在しないといった声を耳にした。つまり、安倍内閣が改革の前提としているものは、ことごとく虚妄である可能性がある。

 

 さらに安倍政権になって、教師の中途退職者が急増しているとの気になる情報もある。教師が現場で希望を持てないと嘆いている姿が伝わってくるようだ。

 

 「安倍政権の教育改革を支持している教師はほとんどいない。そうではなく、教師に信頼される、教師を励ませる改革にしていかなければ、そもそもどんな改革でも成功するわけがない」(現場教師)

 

 教育は国家100年の計といわれる重要な国家政策である。一度制度が形づくられると、簡単には変えられない。その意味でも、安倍内閣の進める教育改革の方向性からは、今後も目が離せない。

 

【『月刊潮』2014年4月号】